※「古文書研究会」が総力をあげて取り組む人気連載!

  真実の頼山陽の姿がここにある。

  石村良子代表による責任編集です。

 ※古文書研究会は月2回、広島市中区にある頼山陽史跡資料館で開講中


2016・5・23

二巻最後の跋 牧百峯題す

 

牧百峯(1801~1863年)名は輗字は信候通称善助 山陽後年の弟子、後藤松陰とともに最も信を置かれた 長楽寺に師とともに眠る 日本楽府 の注解をした


大意

 

人はその外見を正し かの名優優孟のように外見を取り(つくろ)うべきであり ぼさぼさの頭で馬鹿笑いするなど もってのほかであると世には言われている 頼翁の書は(衣冠を正した姿とすれば) 其れなりの形をまねた贋作も多い かたや頼翁の手紙は自由奔放、天真の妙があり 誰もまねのできないところである

 

頼翁の書を好むものは 翁の天真が手紙に有ることを知らない

 

積書堂主人はこれを残念に思い此の手簡集を版刻することに

 

したのであろう

 

此れと雖も頼翁にとっては まさに(らん)(ぽう)の一毛 に過ぎないが 墨の妙を感じ得るだけのものでは無い事はたしかである

 

嘉永二年清和月(1849年4月)百峯牧輗謹

 

題于平安儒居之有竹處

 

語釈 

 

優孟   史記 優孟編

 

 

本文

 

人正其衣冠優孟或可擬其彷彿   至乱頭粗服酣嬉顛倒者不能

 

也頼翁之書於其用意命筆者世   多贋作蓋所謂正其衣冠者以猶有

 

様之可依也而簡牘縦筆不以書   為意者天真爛漫莫影之可捕有

 

最不可及者存焉世之好翁書者固  知其用意者之可貴重而未知天真

 

之妙友在其縦筆者是積書堂    主人の所以有此刻也嗚呼氏帖於

 

当師持翔鸞翥鳳之一毛羽耳    然後笥所溢隻字片言情文俱足

 

與彼尋常寒喧徒供覆瓿之用    者不同其科則主人此擧又安知

 

非獨以其墨妙而已也哉逐贅一   言於其尾

 

嘉永二年清和月百峯牧輗謹

 

題于平安儒居之有竹處

 

 

 

楚の宰相の孫叔敖(そんしゅくごう)は、優孟が優れた人物と見抜き、息子にこう遺言した。「私が死ぬと、お前はきっと貧窮するだろう。お前は優孟に会いに出かけて『私は孫叔敖の息子です』と言いなさい」数年たち、その息子は果たして貧窮し、薪を背負って売り歩いていたが、優孟のところへ行き、会って彼に告げた。「私は孫叔敖の息子です。父は貧窮したら、優孟殿に会いなさいと言いました。」優孟は すぐに孫叔敖が使っていたのと同じ服や帽子を作り、一年あまり経つと、優孟はその父とそっくりとなり、楚王の近臣達も、見分けがつかない程となった。ある日、荘王は酒宴を催した。優孟はその場で前へ進み挨拶を行った。荘王は大変に驚き、優孟を宰相に取り立てようとしたが、優孟は言った。一度帰宅して妻と相談させてください。三日後に、優孟は宮廷に参上した。王は尋ねた「夫人は何と言われたのか?」優孟は答えた。「妻はこう答えました。あの孫叔敖殿は、楚の宰相と成られて、誠意を尽くし清廉に身を保ち政治をとり行ない(そのおかげで)楚王は覇者となることができました。しかし今では、ご子息は薪を背負って売り歩いていらっしゃる有様です。孫叔傲殿と同じ目に逢う位なら、自殺してほうがよい と申しました」そしてこの歌を歌った。「楚の宰相の孫殿は、清廉潔白の生涯で死ぬまで節義を通したお方、今では妻子が貧乏暮らし、薪を背負って売り歩き、それでも食いぶち稼げない」荘王は優孟に詫びを言い、その後孫叔敖の息子を召し出して土地を与え、祖先の祭祀を行えるようにした。誠に言うべき機会を心得ていた進言であると言えよう。

 

2016・5・15

浦上春琴への手紙

 

浦上玉堂の長男春琴(1779~46年)と頼山陽は 山陽の父春水が玉堂の知己であったことから知り合い 33歳の時には淡路島に揮毫の旅に同行


35歳頃には「笑社の会」を催し詩会の傍ら古玩自慢鑑賞しあう 気の合う生涯の友人であった
梨影さんまで呼ばれる仲だったことがわかる

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大意

 

昨日はよい處へお出でくださり瓢に恥かかせることもなく久しぶりに愉快にすごし そのうえ家内をも御呼寄せくださって懇情は忘れがたいことでした

相い近くして竹は参差(しんさ)たり 相い過れども人知らざる
なり幽花欹(そばだ)て樹に満ち、細水曲りて池に通ず。辟客村
遠きにあらず、残樽席更に移す。君を看る 道気の多き
なるを、此れより数(しばしば)追随せん。

と書けば 私の詩の様ですが 是ハ浣花親父の作です(杜甫)
それを本歌取にして

貪晤帰村を忘れ路斜に 残尊席を移し幽花を燭す 
相近く参差に竹無きを恨み 紅塵を経渉し汝家に過(よぎ)る到か 

としてみました 昨日出来カゝリ完成いたしました 汝と云字大ヘイと云俗目可雪カ
御家内様に山々よろしく仰っしゃってください
私方のカゝも大喜びです
不一
             四月廿ニ日   襄頓首
春琴長兄
小石にこの詩御見せ下さい 半切に揮毫し 昨日刻の印を押て上る(あげ)つもりですが おさきに御慰までとおみせいたします

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本文


昨日ハよき處へ罷出瓢二恥かかせ不申候のみなら須 久々に而良晤静対おもしろき事 且又家内越も御呼寄被下乍事新懇情難忘候
相近竹参差 相過人不知 幽花欹満樹 小水細通池 帰客村非遠 残樽席更移 看君多道氣 従此数追随


と書けば 私の詩の様なれども 是ハ浣花親父之作也
それを本歌取ニして
貪晤忘帰村路斜 残尊移席燭幽花 恨無相近参差竹 経渉紅塵過汝家 
と仕候 昨日出来カゝリ越成就候也 汝と云字大ヘイと云俗目可雪カ
御家内様ニ山々よろしく被仰下度カゝ大喜仕り居候
不一
             四月廿ニ日   襄頓首
春琴長兄
小石に此詩御見せ可被下候 半切に揮ひ 昨日之刻の印を押て上る積なれども 先早御慰と上候也
          *石村注 本紙春琴の琴は今のところが金になっている

 

読み下し


昨日はよき處へ罷出瓢に恥かかせ申さず候のみならず 久々にて良晤静対おもしろき事 且又家内をも御呼寄せ下され事新ながら懇情忘れがたく候
相い近くして竹は参差(しんさ)たり 相い過れども人知らざるなり。幽花欹(そばだ)て樹に満ち、細水曲りて池に通ず。
辟客村遠きにあらず、残樽席更に移す。君を看る 道気の多きなるを、此れより数(しばしば)追随せん。

と書けば 私の詩の様なれども 是は浣花親父の作なり
それを本歌取にして
貪晤帰村を忘れ路斜に 残尊席を移し幽花を燭す 相近く参差竹無きを恨み 紅塵を経渉し汝家に過る到か 
と仕候 昨日出来カゝリ成就越し候なり 汝と云字大ヘイと云俗目可雪カ
御家内様に山々よろしく仰せ下されたく候カゝ大喜び仕り居り候
不一
             四月廿ニ日   襄頓首
春琴長兄
小石に此詩御見せ下さるべく候 半切に揮ひ 昨日之刻の印を押て上る積なれども 先ず早御慰と上げ候なり

 

語釈


良晤   愉快な会合
参差(しんし)   互いに入りまじるさま。 また、高低・長短などがあって、ふぞろいなさま。
浣花親父 杜甫は居宅を浣花草堂と名付けた。これが今の「杜甫草堂」にあたる。杜甫はここで4年暮らし、240編 以上の詩を遺したそうだ
相近竹参差の詩
[朱山隠者の庵と私の草堂は近くある、両方の敷地の間にある竹が双方の家の敷地にまで入り混じり生えている。ひっそりとした朱山人の庭にきてみると樹に花がいっぱいに咲いてほそい澗水の流れは曲って池に通じている。少しだけのつもりであったが、飲み残しの樽を前にしては、かえるわけにはいかない、つい、また席を替えて飲みなおすのである。君は道気にあふれた人だ、これからは君に随ってあそびたいものだ。]
過(よぎ)る   立ち寄る

 

 

2016・4・27

京都で大地震

 

 

天保元年七月二日 京で地震発生  山陽51歳は母の病気見舞いのため六月七日に京を発程し 広島の実家に滞在中 

 

七月九日在京の宮崎木鶏より京の地震の知らせきたる 

七月二十四日梨影より梅颸に留守家族無事の知らせきたる

七月二十八日乗船

八月六日帰京

 

京都市市民防災センターの記事によると このときの地震は京都及び隣国の地震マグニチュード6.5
洛中洛外の土蔵はほとんど被害を受けたが、民家の倒潰はほとんどなかった。御所・二条城などで被害。京都での死者280人。上下動が強く、余震が非常に多かった。

 

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大意

 

京都が地震と聞き これを賦して憂いを散じる

郵便で京のしらせを得た 事変は今までにないようなものだった

七月二日 地震は午後四時から午前二時まで続いたという 其の後の便りにも七昼夜余震が続き地は割けんばかり 皆天を仰いで泣きさけび 家も十軒ちゅう八,九軒は壊れ 家中で通りにむしろを敷いていたのにも 屋根瓦が左右から落ちかかったという

我家からは一字の便りもなく 家のある東を望み十たびも頭を掻く 遥かに鴨川べりの屋敷を想う 幼子は弱き妻に頼り 手をつなぎあい中州まで逃げたであろうか また家が留守になったかとそれも心配する 

石の岸は壊れ柳も根まで露わになったことだろう 中州は遠くにあり途中深みが有りはたしてうまく逃げられたであろうか 大きい息子は歩いて川を渡り 小さい息子は女中に負われたであろう それにしても米のねだんが上がり八人の米代に困るであろうと心配する

このような時に遠き広島にあり一家の災難に助けることも出来ないのが恥ずかしい 手紙を書いて早飛脚にわたし 知らせを待って十日あまりになるのに 一家の生死もわからない 今災いは民百姓の身に降りかかっている 遠くに朝廷の事も聞いたが 天皇は政治の中心から離れ万事に関与しないのに天の咎を受けたというのであろうか

大阪まで余震でゆれたという はたして江戸はどうだろうか 海も山も荒れ龍が暴れているようだ 

七月九日広島に在り京の大異を聞く

夜寝れず起き上がりこれを作りいささかの悶を遣る

これを録し篠崎小竹老友に さらに京の友人にとしめす

妻は賦は解さないが聞かせてやってほしい 

                 襄

尾に数句あった

大魚が坤軸を背負っている 神がその首を

もんだか はたまた酒でも飲み酔ったのか どうぞ

目を覚まし 危を鎮めてもらいたいもの その後

蛇足として切り去り 雲雨の二句を加えた

 

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本文

 

郵便得京報 変故未曾有 今月初二日 地震申至丑 

或曰連三夜 聞前未審後 九陌沸啼哭 十室壊八九 

挈家席街衢 墜瓦堆左右 家人無一字 東望十掻首

念我家鴨厓 穉子依弱婦 相牽避沙中 又怕無居守

石岸應盡頽 唯餘露根柳 河水深且溢 不知能逃走

大兒猶厲掲 小児付婢負 糴價意暴騰 苦辛糊八口    

愧任一家憂 患難不援手 災祲被黔黎 此豈吾獨度 

坂城餘秦逮 江都定安否 得無知天明 饑民起相蹂 

天數有周復 下士誰任咎 仰看雲北奔 海雨龍吟吼 

耿耿杷人心 長歌強拊缶

七月九日在廣﨩 聞京報大異夜 不能寐就枕上作 

此聊遺悶

録似 承弼老友轉到 京中従游之士山 妻不識或可解説

使聴耳 襄

尾更有数句曰大魚負坤軸神按其首稍怠則掀動無乃或醉酒

願欲一醒悟鎮危善其後以為蛇足剪去加以雲雨二句  

 

今回、読み下しはありません。

 

 

 

2016・4・19

岩崎鴎雨宛て書状

 

岩崎は鴎雨15歳の時山陽(40歳)に入門
生家は近江坂本の米商 画は浦上春琴に学ぶ

 

 

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大意


雨がやんだ間に水際の薔薇(しょうび)を切って涼風をよんでおりましたら 手紙とすし桶がまいりました
少し使いを待たせ見ますと 封上金梭(きんさ)飯三字 これには
食指が動きます 感謝いたします 今日は酒の肴に良いものがなく格別ありがたいです 金棱投向錦腸(錦腸はウヌボレとお許しください)中はどんな感じか 味の程は後から申し上げます
御頼まれの事は 皆々承知致しましたが 一つ不承知は野呂介石老人の袖巻を譲れとの件です 老人は僕を一代の知己としてくださっておりますのに 僕には老人の書画は立軸とこの一小画巻あるだけです
もし他人の有になれば地獄で老人に会うことも出来ません 僕と老人二人極楽には行けないでしょうから 万お察しください
近日御上京の時御返し下さる事になっている尺木も随分長い間御借し致しました 蔵書は貸さないことになって居りますこの件も内密にお願いします
 飛脚欠伸の声が聞こえますので 筆を置きます 
六月十四日       襄拝復
岩崎雅契

 

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本文


雨輟候間ニ手剪水際薔薇引涼風趣
向仕居候處へ御書到何角すし桶越併来
少し使越またせ帰来開緘先観封上金梭飯三字
食指俄動 勃々不可禁此五字即用貴柬中語
扨も忝奉存候今日肴核に欠事居候處ニ而
別て忝奉存候 金棱投向錦腸(二字ウヌホレ御恕可被下候)
中如何あるへき 跡より味は可申上候
被仰下候義 皆々承知 独有一事萬不承知盤袖巻豪奪之
気味也 老人以僕為一代知己 然僕所蔵有立軸興此一小巻
而巳 若為他人有何以見老人於地獄哉 
僕與老人並非生極楽者 故下此字 御思召可被下候
近日御上京之時御返投可被下尺木も随分御借し申候
可々秘々 飛脚欠伸之聲きこへ候擱筆 不尽
六月十四日       襄拝復
岩崎雅契
(石村注 変体仮名もそのままに表記)

 

読み下し


雨輟(てっ)候間に水際薔薇手剪(せん)し涼風を引き候趣向(しゅこう)仕まつりおり候ところへ 御書到り何(なに)角(か)すし桶を併来り
少し使をまたせ帰来開緘(かん)し 先ず封上金梭(きんさ)飯三字
食指俄に動き 勃々禁ずべからず この五字即貴柬(きとう)中語を
用ふ 扨も忝けなく存じ奉り候 今日肴核(こうかく)に事欠き居候處にて 別て忝存じ奉り候 金棱(きんさ)投向錦腸(二字ウヌボレ御恕下さるべく候)
中如何(いかが)あるべき 跡より味は申上ぐべく候
仰下され候義 皆々承知 独一事有り萬不承知は袖巻豪奪之気味也 老人僕もって一代の知己と為す しかるに僕所蔵立軸と此一小巻あるのみ
 もし他人有ならば何以老人を地獄にみんや 
僕と老人並び極楽に生ずる者にあらず 故此字をくだす 御思召 くださるべく候
近日御上京之時御返投下さるべく尺木も随分御借し申し候
可々秘々 飛脚欠伸之聲きこへ候擱筆 不尽
六月十四日       襄拝復
岩崎雅契

語意


水際の薔薇(しょうび) 中国原産のもっこうばら(日本名)
金梭    カマス
野呂介石  文人画家(1747~1828)紀州藩に仕える
      池大雅の門
蕭尺木   中国,明末,清初の文人画家。蕪湖 (安徽省) の人。字は尺木

       (せきぼく) ,詩文,書画,音楽に通じたが,山水画にすぐ

      れ,淡彩の美しい個性的画風を創始する
      頼山陽39歳西遊の時 得たと後藤漆谷への
      手紙に見える 春琴には内緒にとある

 

 

2016・4・12

雲華師あて書状


この手紙の和南とか 侍者とかの言葉に8歳年上の雲華上人を尊敬している様子がうかがえる 

 

 

 

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大意
今日の雪には 必ずお出でと思っております
明日朝がよろしいでしょうか 大分もらいものの
良い物もあり (粟津)裕斎殿から小陶器いりの古酒をもらい これで一酌と 思います
一寸筆を走らせて書き添えました  12月15日
 枝上之雪すでに消えて 山々始めて露矣(あらわるかな)
      襄 和南

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本文
今日之雪ニハ必御出と存居候 

明朝 可 大分好下物も有之候  裕斎子より 一小陶之古酒もらひ 是ニ而一酌と存候也 其便ニ走筆如此 
 枝上之雪既消而 山々始露矣
      襄和南
雲華師    侍者

 

読み下し


今日の雪には必ず御出でと存じおり候 明朝
可 大分好下物もこれ有り候 裕斎子より
一小陶の古酒もらひ 是にて一酌と
存じ候なり 其の便に走筆かくの如し 望(びぼう)
枝上之雪すでに消えて 山々始て露矣(あらわるかな)
      襄和南
雲華師    侍者

 


語意


和南  目上の人に敬意を表して その安否を尋ねる語で、口に唱えなが

    ら、深く首をたれて礼をすること。礼拝。敬礼。

望  広く見渡すこと
侍者  高僧に 仕えて雑用をつとめる者
裕斎子 大谷派本願寺の粟津裕斎 雲華上人の弟子
 

 

2016・4・4

雲華師への手紙

 

年不詳 山陽49歳頃か?

雲華上人から何ごとか漱金紙に書くようにという依頼を受け、画は先に浦上春琴に描かせる、と。

 

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 大意

 

御細書くださり まるで目の前におられるように楽しんでおります

漱金紙へ書くこと承知いたしました

春琴の画を先に描かせます

廿八日は都合が悪いので それより後 御待ちいたします ほかに面白いことがいっぱいあります お聞かせしますが お会いしてからの事にいたします

十一月廿十六

雲華師   襄復

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      漱金紙
      漱金紙

本文

 

御細書如面相楽候 漱金帋承知仕候

春琴画先留置候 廿八日津可へ候其後

御待申候其它呵言事多 如山如阜

期面尽

十一月廿十六

雲華師   襄復

 

読み下し

 

御細書面が如く相楽しみ候

漱金帋承知()かまつり候

春琴画先ず留め置き候

廿八日つかえ候 其後

御待ち申し候 其它(そのた) (いう)(わらう)事多し

山のごとく阜のごとく 面尽を期す

 十一月廿十六

 雲華師   襄復

 

2016・3・27

『通義』全三巻なる

 

篠崎小竹52歳への手紙

山陽52歳 天明2118

この年12月通議全三巻稿なる 世張34歳

 

 

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大意

 

通議は 日々御覧くださっていますか

まだとりかかっておられませんか 梅は一向に開花しませんが 大坂も同じでしょうか

僕は家にこもっており世間の様子はわかりません

今迄梅をもらっても蕾のままで開かずじまいでしたが 

今日一大枝をもらい枝ぶりが絶妙の様子

此掛物と一対と思い秘蔵の(げい)元璐の(ふく)出し

 

只今床に掛け相(たい)しております

此間は乕屋(とらや)饅頭沢山に下さって日々楽しみ 

ありがたく思います 何かと思いてち

(やく)(しま)海鼠(なまこ)を分け差し上げようと思います 時節柄

少し遅れていますが北越(ほくえつ)雪魚(たら)に 引けを取りません 

()(ちょう)(はし)()酒するとかもしれませんが 

貴方も少しお酒を仰付お飲み下さい

必ずしも淄澠(しじょう)の水のたとえのように あれこれ申しません 草々頓首

 正月十八日 襄

小竹盟臺

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原文

 

通議 日々御覧被下候哉 未御掛なき候歟 梅

ハ一向と被存候 江南亦然歟 僕斎居不

知外事梅緒もらひても皆?蕾而 已

 

雖然今日得一大枝槎牙絶妙婆熊者

対此掛物と存候て出秘蔵之倪幅 只今対いたし居候

此間ハ乕屋饅頭沢山ニ被下日々相楽 忝

奉存候 何以報之役嶋海鼠大割愛奉献候 

 

  茶合(茶を量る道具)                               細川林谷(篆刻家)刻 でこの後 月ヶ瀬 嵐山と同道している
茶合(茶を量る道具)  細川林谷(篆刻家)刻 でこの後 月ヶ瀬 嵐山と同道している

語釈

 

篠崎小竹    篠崎小竹 江戸後期の儒者。大坂生。名は弼、別号に畏堂・退庵等。篠崎三島に入門しその養子となり、のち尾藤二洲・古賀精里に学ぶ。仕官を好まず家塾を継ぎ諸生を指導。  

江南    大坂

斎居    静かな家

蓓蕾    つぼみ 花の蕾

槎牙    枝がごつごつと角ばって入

      りくんでいるさま

浙江    上虞の人。貧民の出身で多芸多才であった。書法は王羲之と蘇軾に学んで行書・草書に巧みで明代の書道の名人と称された

 

世張    後藤松陰17971864 江戸時代後期の儒者。生地の美濃大垣

      で菱田毅斎ついで頼山陽に学ぶ。文政3年大坂で塾を開く

      詩文をよくした。妻は篠崎小竹の娘の(麻池)。字は世張   

淄澠    斉の国にあった淄水と澠水という二河の名

      孔子曰 淄之合者, 易牙知之

      同じに見えても必ず見分ける人がいる

 

 

 

2016・3・21

酒と茶

 

福井棣園へ  山陽49歳 1828年1月9日

 

蘇東坡は 東坡題跋に 「私は酔って草書を十数行書いた

精気がつぎつぎと指から発散しているようであるー略― 酒の力を借りるというのではなく 酒と一体になって酒とともにあるということである」と書いている

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大意

 

酒と腸とではどちらに天の姿があるのでしょうか 

あなたは茶杯を()り 自分は酒巵(しゅし)(さかずき)をとる そして 私の両ほほが(かすみ)を帯びたようにボーとなり あなたの両腋(りょうえき)(りょうわき)に清風が起きる

 

戌子首春九日

(てい)(えん)老兄至

あなたは酒飲むことはわからない で私が(たわむれ)に賦に即夜(そくや)之事を(しる)します (( はくさん)  

               

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原文

 

酒腸有否各天姿 

君把茶杯吾酒巵 

雙頬吾方帯霞處

是君両腋起風時

 戌子首春九日

 棣園老兄至

 兄素不解飲而余為飲戯賦紀即夜之事 博  

         襄

 

読み下し

酒と腸と各に天姿(あり)(やいなや) 

君は茶杯を()り 吾は酒巵(しゅし) 

雙頬(そうきょう)吾方(かすみ)を帯びる處

是 君が両腋(りょうえき)に風起きる時

 戌子首春九日

(てい)(えん)老兄至

(けい)もとより(いん)(かい)せず しこうして余 飲を()して(たわむれ)に賦に即夜(そくや)之事を(しる)す (粲(はくさん) 

          襄

 

語釈

酒と腸 盧仝(ろどう) 茶歌の一節
 一碗喉吻(いちわんにしてのど)(がうるおい)兩碗破孤悶(りょうわんはこもんやぶる)
 三碗搜枯(さんわんこちょうを)(さぐれば)惟有文字五千卷(ただもじごせんかんあるのみ)

 四碗発軽汗, 平生不平事, 尽向毛孔散。
 五碗肌骨清, 六椀仙霊。
 七碗吃不得也, 唯覚両腋習習(ただおぼゆりょうえきしゅうしゅう)清風生(せいふうしょうず)

 

蘇東坡は草書を書くのが難しいので 酒を飲んでとりかかった 

何か自分以外の自分に成り名作ができたという 

博粲   お笑いぐさに

 

2016・3・13

「文章 指南」「課題は桓武陵」

 

「文章 指南」

 

 湖山八十翁題

                            小野湖山18141910

幕末・明治期の儒者・漢詩人。              近江の 人。三河吉田藩儒臣。安政の大獄に連座。維新後明治政府に出仕,のち大阪に優遊吟社を結成するなど詩名が高かった名を長愿(ちょうげん)、字を舒公・士達・侗翁と改めた。号は湖山晏齋(あんせい)・狂狂生・ 玉池仙史。18歳のとき初めて江戸に出て梁川(やながわ) (せい)(がん)の門にはいり、藤森弘庵に師事する。

 

「課題は桓武陵」

文政11年正月11日(1828年)

福井棣園46歳あて 山陽49

第2集1通目の手紙

 

福井晋( ~嘉永2年1849年)

医家。姓は源、字は貞吉。棣園と号した。京都の人。禁裡御医福井丹波守榕亭の長子。父業を受けて御医に挙し従四位に叙し近江守に任ぜられた。篤学にして詩文をよくし書を巧みにした。嘉永二年五月十日没年六十七。二尊院に葬る。

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大意

 

先夜は 少しの間ですがようこそおいでくださり 私は酒に あなたは茶

にと楽しゅうございました どちらも臭いも色も同じです

今日は御和(ごわ)(しょう) よけいに面白く感じました 飾らぬ情に言葉は

頼の家法にあい 世に奇をてらい新らしがるものなど 比べ物になりません どうぞこれからも御忙しい中に ちょつと詩境に深入なされば 益にはなりませんが これも(また)人生の楽しみの一つになります

墨談は御覧になりましたか 表紙に必ず別の表紙を御付ください 表紙がそるのは ごめんです

先日之詩の御題ハ

 毎歳終、、、、

 (よう)(ほう)所、、、、

雨宮、、、、医為恒例

 今(ここ)十二月、、、、

 実鷹賜(いずく) 私賦題律以紀

でございました (あと)で考へ(ついで)に御耳にいれておきます 

草々頓首(とんしゆ)

 正月十一日

  十日 二十五日毎月詩会となっております 宿題は 

穿(まどを)(うがつ)(うめを)(みる)と 

(えん)延暦(りゃくさん)山陵(りょうをえっす)

 となっております ためしに一構おつくりください

(とう)(えん)老兄      襄拝復

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原文

 

       先夜は よくぞや乍暫時御留話霞醸露芽 臭味惟同 おもしろく

       御坐候イキ 今日ハ御和章 更覚

       面白候 真情実語 吾家法ニ合

       候て 非世釣奇尋新之比候 何卒

       以後御繁務中ニチト詩境ニ御深

入披成度無益の事なれとも一楽ニ候 墨談御流覧披成候ヤ表紙ニ屹度折を

御付て披成候表紙反張候ハ可憎ものに候

 

先日之詩の御題ハ

 毎歳終、、、、

 鷹峰所、、、、

雨宮、、、、医為恒例

 今茲十二月、、、、

 実鷹賜焉 私賦題律以紀

二て可然と跡に而相考乍序入御耳置候 草々頓首

  正月十一日

十日 二十五日毎月詩会と仕候  宿題 穿窓看梅と 謁

延暦山陵

 と仕候 試一構思披成ましくや

棣園老兄      襄拝復

 

 

読み下し

 

先夜は よくぞや暫時(ざんじ)ながら御留(ごりゅう)()()(じょう)()() 臭味(これ)同じ おも

しろく()(そうら)いき 今日は御和(ごわ)(しょう) 更に面白く覚へ候 真情実語

家法にあい候て 世に奇を釣り新を尋ねるの()にあらず候 何卒(なにとぞ)以後御繁務中に ちと詩境に御深入()されたく無益の事なれども(また)人生(いちらく)楽に候

墨談(ぼくだん)御流(ごりゅう)(らん)成され候や表紙に屹度(きっと)折を御付て成され候 表紙反張候

は憎むものに候

先日之詩の御題ハ

  毎歳終、、、、

 (よう)(ほう)所、、、、

雨宮、、、、医為恒例

 今(ここ)十二月、、、、

 実鷹賜(いずく) 私賦題律以紀

にて(しかる)べきと(あと)にて相考(ついで)ながら御耳にいれ置候 草々頓首(とん)

 正月十一日

十日 二十五日毎月詩会と(つかまつり)り候  宿題 穿(まどを)(うがつ)(うめを)(みる)と 

(えん)延暦(りゃくさん)山陵(りょうをえっす)

 

と仕候 試一構(こころみにいちこう)思成(おぼしなされ)されまじくや

 

(とう)(えん)老兄      襄拝復

 

語釈

 

()(じょう)()() 酒と茶

墨談   米庵墨談・天朝墨談. 清墨談叢 など種々あり いずれか不明

 

   見延典子
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