第5集に入りました。

引き続き、石村良子代表による解読でお届けします

2016・12・20

書画に印

 

山陽から坪井老丈への手紙

 


本文

 

先日ハ御来賁早速拝顔可仕候處 例之朝寝ニて御またせ申候も如何と 先春琴へ御出候様ニ申上 扨掃除なと仕御待春琴使遣候處 もはや御帰之由 折角午飯上可申と家内ともへ申付置候處 御出無之失望申候 書画とも印押申候内

全幅ハ難堪保とニ悪御座候故 書改申候 其内拝趨 萬謝可申上候 チト此方へも夕方御来臨可被下候  草々

頓首   十一月十日

封           頼襄啓

坪井老丈

尚々 春琴と申合御寓居へ可参と申居候へ共未能其儀候

 

 

読み下し

 

先日ハ御来賁早速拝顔仕るべく候處 例之朝寝にて御またせ申し候も如何と 先ず春琴へ御出候様に申上 扨掃除など仕り御待ち春琴使い遣り候處 もはや御帰之由 折角午飯上げ申すべきと家内ともへ申付け置き候處 御出これ無く失望申し候 書画とも印押申し候内

全幅は堪へ難きほとに悪く御座候故 書き改め申し候 其内拝趨 萬謝申上べく候 チト此方へも夕方御来臨下さるべく候  草々

頓首   十一月十日

封           頼襄啓

坪井老丈

尚々 春琴と申し合せ御寓居へ参るべくと申し居り候へ共いまだ其儀にあたわず候

 

 

大意

 

先日は、お出でになるということで真っ先に拝顔すべきでしたが 何時もの朝寝で御待たせするのもどうかと 先に春琴へ御出でくださるように申上げ 掃除などして御待ちし春琴方へ使いしましたが もはや御帰りとか お昼ご飯を差し上げようと家内どもへ申付け置きましたのに 御出もなくガッカリしております。 書画とも印を押したうち

全幅は堪え難いほどに悪いので 書き改めました。  

其内参上いたしまして 深くお詫びいたします 此方へも夕方に御来臨下さいますよう  草々

頓首   十一月十日

封           頼襄 申し上げます

坪井老丈

尚々 春琴と申し合せ御すまいへ参ること申して居りますが まだ参上の次第になっておりません

 

 

巻末

嘉永二年巳酉夏月出版 1849

大正二年七月十日譲受

大阪市東区北渡辺町  杉本要

発行者

大阪市東区唐物町四丁目 石川嘉助

東京日本橋通り五丁目 青木嵩山堂

大阪市東区唐物町四丁目 石川屋書店

大阪市東区北渡辺町角 杉本梁江堂

 

 

 

2016・12・14

外史論さんの材料

 

篠崎小竹へ 

頼山陽32


 読み下し

 

此の節は人に此の巻紙をもらい申し候故 ヤタラに白紙に

認め申し候 反古を此の中にのばし申し候積り也

無沙汰の御理 余り御丁寧にて 却って痛却仕まつり候

西濱御親類の御儀に付 御心遣いの儀 先頃チラト承知

仕り候 来夏ならでは済申さずとは甚だしき事也 さぞ

御心配と存じ奉り候 併せ仰せの通り 盤根錯節利器を

試すの秋なるべし御努力なさるべく候 左様とは存ぜず 怨み言を申し上げ候段 私こそ御免くださるべく候(小石へも委曲申し伝え候) 第一御礼申しあぐべきは 読史三巻 賛薮三巻 御越くだされ 初心敢望の所にあらず 腹心敢布申し候ところ恵旨感裁仕り候 その賜尠に匪ず 仕上げを御目にかけ御礼申しあぐべく候 この節織、豊、徳 三氏総九巻咬合仕舞申し候 アワレ近所なれば 御相談仕るべくにと存じ奉り候事 毎々なり

数年前筆力 今日において優れるところもあり 又今書けば こうではないと悔み候ところも多し

大名を浅野氏、石田氏などと書く事 婦人の称の様也 全体

一書の体 氏をもって称し候は格別 其本人の事を称するに 氏を以ては如何に存じ申し候

タトエバ浅野氏答え曰くなどは如何や これは本国の先君の事などは諱あぐも如何と存じ候て(本 弾正、左京などと認め 或時氏を称す也)このごとくいたし置き候

いまさら、にわかに書き改め難く候 古例も御座候はば

御見当の儀 おおせ諭されたく願い奉り候

此の度の本は急ぎ候故 すぐに下し下さるべく候 来春などは差し上げ申すべく候間 御一覧後 御正駁下さるべく候 (浅野某 しかるべきや)

韓客唱和 目を刮 湽川笑うべし しかし文になると二行

三行のうちに既に議すべきところある様に御座候 韓客は どうでも近きだけの事ありなどと云うても 自分の芸のいけぬこと 汗顔べく候 何卒あげねばならぬと存じおり申し候 源義家の賛 妙 兄は律において長ず 僕は絶句と存じ居り候ところ 絶句の方も降旗 堅く候 嘉名は八幡太郎の事にや 嶽降初と云えば ほぎゃあと云う時の様なり 元服の時の事にはなるまじ しらず

是僕の僻論なり

賛数 急に御返璧の事 謹しみ教を領じ候 只今写手倩 急に写し居り申し候 伏冀 頼襄為(道為る語,陳)自愛、頓首

  十一月十六日

今晩新嘗祭に出る官人に門人あり 因って衣冠に假りニ濫吹するはず 急ぎ認め申し候 御推読くださるべく候

春寒峭として怯を為し 山園いまだ肯窺せず

知得す梅花の発するを  童を呼び一枝を折る

画に題す 知得二字如何 又全面梅樹はこれに無きや

金谷君へ 別書と存じ候内 人が取りに参り候故 露封差し上げ候 御一覧の上 御伝達くださるべく候 御序にて宜しく候 

尚々 金谷翁(御気にいらぬ様なれども 僕よりは)へ

先書に紙などを下され候諷もうし候えども此の節 紙多く

決して御心遣いドモハ下されまじく候

 

大意

 

此の節は人に此の巻紙をもらいましたので むやみに白紙に書いております 反古を此の中にのばす積りです

無沙汰の理由も 余りに御丁寧で 痛みいります

西濱御親類のこと 御心遣いしておられる件 先頃ちょっと承知致しました 来夏まで済そうもないとは甚だ大変なことです さぞ御心配とお察しいたします 併せて仰せの通り 色々込み入り大変な秋でしょうが 才能発揮御努力なさってください 左様とも知らず 怨み言を申し上げたこと 私こそ御免ください(小石へも委曲申し伝えました) まず第一に御礼申しあげなくてはならない事は 読史餘論三巻 大日本史賛薮三巻 御越くださり敢えて望めるところではありませんが、心の底を お察し下さり送ってくださいましたこと少々の事ではありません感謝にたえません 仕上げを御目にかけ御礼申しあげたいと思います この節 織田、豊臣、徳川 三氏総九巻咬合し仕舞致しました 近所なら 御相談もできるのにと思う事 毎々です

数年前は 筆力 今日より優れるところもあり 又今書け

ば こうではないと悔むところも多くあり 例えば

大名を浅野氏、石田氏などと書く事 婦人の称の様で 全体

一書の体裁に 氏をもって称するのは 格別に其本人の事を称するのに使うのに 氏を使うのは如何だろうと思い

タトエバ浅野氏答え曰くなどとするべきかと迷いましたが これは本国の先君の事などは諱あげるのも如何と思い(本 弾正、左京などと認め 或時氏を称すなり)この様に いたし置きました、いまさら、にわかに書き改めるのも難しく 古例もあるようですので御見当の程 何か言う人にも諭し下さいますよう願います

此の度の本は急ぎますので すぐに御返却お願いします 来春などには差し上げますので 御一覧後 御正駁下さいますよう (浅野某 これで良いでしょうか)

「韓客唱和」 よく見れば 湽川笑うべしです しかし文になると二行 三行のうちに既に議すべきところもある様に思います 韓客は どうでも近いだけの事ありなどと云っても 自分の芸のいけないことは汗顔ものです どうにかあげねばならぬと存じてはおります 貴方の源義家の賛は 妙 兄は律において長ず 僕は絶句と自負しておりましたが 絶句の方も旗を降ろさねばならぬようです 嘉名は八幡太郎の事でしょうか 嶽降初めと云えば ほぎゃあと云う時の様 元服の時の事にはならないかと しかし是は僕の僻論です 「賛数」急いで御返しせねばならない處 まだ参考にせねばならず 只今写手をやとい 急々に写して居ります 今しばらくお猶予ください、寒でこうしているうちにも硯の水も凍るようです乱筆お許しくださいますよう

伏してお願い致します 頼襄為(道為る語,陳)自愛、頓首

   十一月十六日

今晩新嘗祭に出る官人に門人あり 因って衣冠に假りて濫吹するはず急ぎ認めました 御推読くださいますよう

春寒峭として怯を為し  山園いまだ肯窺せず

知得す梅花の発するを  童を呼び一枝を折る

画に題す 知得二字はどんなものでしょう 又全面に梅樹はありません

金谷君へは 別書と思いましたが 人が取りに来ましたので 露封のまま差し上げます 御一覧の上 御伝達くださいますよう 御ついでで結構ですので 

尚々 金谷翁(御気にいらぬ様ですが 僕よりは)へも

先書に紙などを下されるということですが此の節 紙多く

決して御心遣いなさらぬようにとおつたえください

 

 

語釈

 

湽川笑うべし  淄川、澠川 (中国山東省にある河の名) の二河は、 水の味が異なるが、海にそそげば一つの味になるという 結局は同じになる事

 

 

2016・12・8

後藤松陰の婚約

 

山陽44歳 篠崎小竹45歳 武内確斎55歳 松陰28歳は小竹の長女町子と結婚 武内確斎17701827 江戸 後期の戯作者、漢詩人 篠崎三島に儒学を まなぶ


読み下し

 

此の間御答え仕り候 相達し申すべく候 其の後依然連綿

寒威は日に加わり候 浪華如何 伏してこれ萬福 僕感冒

今以て得斗仕らず 此度の伏枕 九年以来の事に御座候

銅駝坊(二条高倉)寓居の節 世張わざわざ濃(美濃)より

来門くれられ候事ども存じ出し候 其時よりは軽症に候えども 幾様変態 只今は淋の様にて困居申し候

平生の酒肉過ぎ候(むくい)もこれ有りと相見 日来勺飲口にあげず   いまだ答え奉らずと存じ候

先日は確斎より見事の(たい) 近来未だかってかくの如き者に逢わず 早速賞味 数杯下し候 此の時はまだ飲める時

分也 其後はとんと相止め申し候 世張よりも両品 海物

天蓋(たこ)の如き  僕好まざる所なれども 医人に贈り候て

薬礼にかえ候 其の(たま)い虚しからず

此若狭物 小人島の焼き物と申すものなれども 確斎に木爪(粗末なお返し)と仕り候 味損なわず候えかし

此の間 篠兄に呈じ候は味いかがにこれ有り申し候や

葱白は 三家へ御わけ下され候事と存じ候

時に僕あしき最中 拙荊分娩平産 又一雄を獲候 骨格大児に類し磊磈これに過ぎる垂老連多憂の種を得候幸となるか否と為すか自料能わず これ碧翁に附するのみ 此の儀同社へもしらせ申さず その煩を悪むなり 序ながら相告ぐ 世張 移居はいかが 朝夕こころがかりに御座候 納幣相すませお互い安心候 鮑生鹿車の風 長久の計 三島先生の 冥慮にも相かない申すべく 承弼 微嫌をもって自牽せず 断然これをおこなう 吾曹の望みなり 唯世張いくすえ 取り続くのみ 専要と存じ奉り候 確翁 當この事勾る 僕また何をいわんや 草々不備

復月望

小竹

確斎        ニ兄桐右

世張同覧

唐宋詩醇 嫁入り出来候や

拙稿 イソギは仕まつらず 碧海の詩 見申し度候

何ぞ病間 陳琳の檄にあたり候 雄篇 又は古人の書 快心洞目は拝見つかまりたく候

 

大意

 

此の間御答え致しましたが届きましたでしょうか 其の後

日増しに寒くなりますが 大阪は如何ですか  僕は感冒にはずっとかからないで来ました 此度の伏枕は 九年ぶりのことです

その時銅駝坊(二条高倉)寓居に 世張が、わざわざ濃(美濃)より見舞いに来てくれたこと思い出しました

其時よりは軽症ではありますが 色々と様変わり 只今は淋の様で困っております

平生の酒肉が過ぎた(むくい)もあるようですが 今は勺飲もせずおりますが効果の程も見れぬようです   

先日は確斎より見事な(たい) 近来 未だかってないほどのもの 早速賞味し 酒も数杯いただきました 此の時はまだ飲める時分でした 其後はやめております 

世張から両品 海物 天蓋(たこ)など  僕の好みではないですが 医人に贈り薬礼にかえました 無駄にはなっておりません

この若狭物 小人島の焼き物ですが 確斎に木爪(粗末なお返し)といたします 何卒 味損なわずにと届けばと思います 此の間 篠兄に差し上げたのは味いかがでしたか

葱白は 三家へ御わけ下さればと思います

僕が具合悪い最中 妻分娩平産 又一雄を獲ました 骨格大児(支峰)に似て岩の様です 年寄りは多憂の種を得たといいますが 幸となるか否と為るか僕にはわかりません これはすべてお天道様しだいです  此の事煩わしいので同社へもしらせておりません  ついでながら

世張 移居はいかが 朝夕こころがかりにしております 婚約すませお互い安心です 子孫繁栄 三島先生も草葉の陰で喜んでおられるでしょう 御気に入らぬもありましょうが 唯 世張のいくすえ続くこと 専要と思います 確翁も まさに此のこと心配しております 僕が言う事でもありませんが

 草々不備

1115

小竹

確斎     ニ兄桐右

 

世張同覧

唐宋詩醇 嫁入り出来ましたか

拙稿 急ぐこともありません 碧海の詩 見たいものです

何か病気の間 陳琳の檄にあたるぐらいの書 又は古人の書で 快心瞠目は拝見したいものです

  

語釈

 

陳琳の檄 陳琳が書いた文章を読んで三国志曹操の頭痛が治ったという話

 

 

 

2016・11・30

日本楽府

 

山陽50歳 篠崎小竹51

小竹は淡路洲本稲田家に出講していた


読み下し

 

扨も申し訳なきご無沙汰という語 常套なれども 真に左様に候 さて御留守には ()(よう)にこれなかりし 御(つつが)なく帰帆と承り 打()て置候のみならず 老母持病疝痛にて 起居人を待ち 灸薬湯百計 此節復常纔趨(さいすう)候 是にて何方へも無音に及び候 併せ モハヤ安に就き 御見舞い仰せくださるにも及ばず候。扨ても御留南中は  御頭瘡眼に入り候とや 是は小事にあらず 御復常にや。十二酒人の詠は

扨てもゝ 奇趣向奇詩なり 定めて十二曲別屏などへ揮され候事と存じ候 一々細評返上と存じ候へども、右の次第

そればかりにても緩答に及ばず候。小鮮 又太刀魚 連綿

御恵み 皆々甘旨供し 忝く存じ奉り候。 秋晴連日 母を

強いて輿(こし)に載せ 吉田山などに参り候。沙川、朱雀なども

妙に候。アワレ御同遊仕り度ものと存じ候。

母も 此月末アタリより()(えん)。剣菱に導かせ 蓑面(みのも)紅葉見せ

申し度、その時は御同伴仕るべく今より御さし繰り置かれ

下さるべく候。竹田病叟 老狐と同窟 布匿睡 胡為而来乎哉(なんすれぞ來られんや)仰せ伝えられ下さるべく候。ホンニ拙作

楽府の題の序も御改稿下され候や。世張文も参り候、よくなり候 御削りの處 皆見当不易 猶申し遣わし候。貴序は何卒御張り込み下さるべく候.蘇公(そこう)謂う所是吾言にあらず

天下の言なりと云う様の極印 (こいねが)い奉り候。

いつぞやの数語も 皆々存ずべく候 知己語なり

竹田数十條(十二則)評語,亦妙べし、時に李西涯楽府

列朝集中に収これ有り それを竹田と御同(ごどう)(えつ) 僕の藍本

二字自言ㇵ鳴呼ナレモノ

御見合わせ下さるべしと 彼の子にも仰され下さるべく候

漢人は違ったものに候 されども理窟に堕し候と 雷同處

と之有るか 僕楽府鼇人に啖以下 当代ニサハリ 刪るべくと申すもの 役人悪意者にこれ有 據なく割愛 其の代に六首ほど補作 別録正を乞う 竹田 世張にも御見せ下さるべく候 世張文も略刪 猶御裁正下さるべく候 頓首 

  孟冬五日晡

今日斎日 残(しん)、豆腐などにて 泉川を仕るべくと存じ居り

候 泉川碑銘貴君御帰りナレバ御目にかけくれと申し遣わし候 如何 目下到り否

 小竹老兄

尚々本文に申し遣わし候 令閏の御恙も御復常にや 南中に御聞き候はば 御心配と察し奉り候

何ぞ 答贈奉りたく候へども 存付かず候 姑これを待つ

 

大意

 

扨 「申訳ないほどのご無沙汰」という語 常套ではありますが全くこの通りです 今までの御留守には ここまでは有りませんでしたが (つつが)なく帰帆とお聞きし そのままにしておりました 老母持病疝痛で 起居に人を待ち 灸薬湯百計 この節やっと回復にむかっております ということで何方へも無音にしておりました 

今は よくなっておりますので 御見舞いにも及びません、御留南中は 頭瘡が眼に入ったと云う事 是は小事ではありません 良くなられたのでしょうか。十二酒人の詠は

扨てもゝ 奇趣向奇詩です 十二曲別屏などへ揮毫されましたらと思います 一々細評差し上げるのも、右の次第で

ゆっくりお答えも出来ません。小鮮 又太刀魚 続いて

御恵みくださり 皆々おいしく 有難く思います。 秋晴連日 母を強いて輿(こし)に載せ 吉田山などに行くつもりです。沙川、朱雀なども良いかと。御同遊をお願いします。

母も 此月末アタリ帰りますので剣菱に導かせ 蓑面(みのも)紅葉見せたいとおもい、その時は御同伴よろしく今から、さし繰り置いてくださいますよう竹田病叟 老狐と同居来れないことはないはず お伝えください。ところで拙作

楽府の題の序も御改稿下さいましたでしょうか。世張文も参りました、よくなって居りますが 御直しの處有りましたら言って遣ってください。あなたの序はどうか良きにお願いいたします.これは蘇公(そこう)の言で私のではありませんが

天下の言なりと云うぐらいの極印 (こいねが)いいたします。

いつぞやの数語も 皆々よく知られた語です

竹田数十條(十二則)評語,これは良かったです。

時に李西涯楽府列朝集中に収まっているものを 竹田と御同(ごどう)(えつ) 僕の原本と御見合わせ下さるよう 彼の子にも仰せください

漢人は一味違ったものですが 理屈に堕すところと 雷同する處とあります 僕楽府「鼇人に啖」以下徳川幕府にサハリあり徳川の處 役人に直すよういわれ割愛 其の代わりに六首ほど補作し 別録しておりますのでこれも正をお願いします 竹田 世張にも御見せ下さい 世張文も少削り 猶御裁正下さるように 頓首

  孟冬五日晡

今日斎日残ったキノコ、豆腐などにて 泉川を飲むつもりでおります 泉川(大塚鳩斎)の碑銘 貴方が御帰りなら御目にかけるようにと伝言頼んでおります 届きましたでしょうか

 小竹老兄

尚々本文に申し遣わしました 奥様のお煩いも御復常になられたのでしょうか 旅中に御聞きなら さぞ御心配とお察しいたします

何か おかえしに贈りたく思いますが 考え付きません 

しばらくお待ちを

 

 

 

 

 

2016・11・15

旧藩先侯の喪中

 

※旧藩先侯→浅野重

(17431814)


本文

 

舊臘今春居君之葬候ニ付 引籠年礼も受不申候 それ故何方へも無音仕候 蝋春両書 御祝儀とも忝奉存候

印尓今未果候 草々 頓首

  七種の日          襄

良平様

い津やら御頼之王摩詰画詇跋も心懸居申候 聊書直申度 是ハ私より願申候 ぬめの寸法可披仰下候 ○令息御安存ニや久々高作不拝見候

 

読み下し

 

旧蝋 今春居君の葬候に付き 引き籠り年礼も受申さず候 それ故何方へも無音仕り候 蝋春両書 御祝儀とも忝なく存じ奉り候

印に今未だ果たさず候 草々 頓首

  七種の日          襄

良平様

いつやら御頼の王摩詰画詇跋も心懸け居り申し候 いささか書き直し申したく 是は私より願い申し候 ぬめの寸法仰せくださるべく候 ○令息御安存にや久々高作拝見せざる候

 

大意

 

旧蝋 今春居君の葬がありましたので 引き籠り年礼も受けず どこへも沙汰なしでおりました 蝋春両書 御祝儀とも有難うございました

お約束の印いまだにできておりません 草々 頓首

  七種の日          襄

良平様

いつやら御頼の王摩詰(王維)画詇跋も心懸けて居ります いささか書き直したいと 是は私よりお願い致します ぬめの寸法お伝えください○令息はお元気でしょうか 長い間御作拝見しておりません

 

 

2016・11・7

入京の心配事

 

篠崎小竹への手紙 菅茶山のもとを飛び出した直後の心情を綴る 

 

山陽32歳 小竹33

 


 

読み下し

 

昨日書を託し申すべきと存じ候は 文選家の仁科四方てふおのこ也 此男の手に合わず また延引仕り居り候所へ

鑰彌(かぎや)より貴書相届き候 履..の論 頂門一針 逃避べからず候 知らず老兄以ていかんと為す 悩懊御察しくださるべく候 されども家翁心に 先ず只今の体 いがみなりにも安心致し居り候や 何んとも申し出も仕らず また奮発

帰国候所 家翁の気に入り候や否や 落城の(そしり)は免れざる所なれども 是は命さへあれば 補償は出来ると云うものなれば 是は頓着なけれども 扨ドンナモノ也 帰れば復 出る事甚だ六ケ敷く 大坂 山権 の所謂一年一二度の遊子とは 国元の様子しらぬ説也 

さらば茶山へ帰らんと云う所 茶山受けずは必 国元へ帰れば 「私倅久太郎事 菅太中方 学統相続に遣り置き候所 太中家風に応ぜず候に付 差し戻し申し候」と云う書付を公へ出し 旧によって廃息と云うもの也

廃息という者は 過失有て嫡嗣なしえざる者にて 国元には札付き札付きと称すもの也 札付き仲間にはいり 弟権二郎のすねかぶりにて 膝下侍養 碌々終歳 あれは隣国へ養子に行ったが 不縁せられた もはやよい年なるべけれども つまらぬもの 聞けば上方へもいていたげな いかな食べぬで すごすご戻て来たげなと云いて 家翁百歳後 又上方へ出んと云う節 たとへ要路に知己ありて取り持ちたる所 甚だ成り難し事 生涯権次郎方の意候になり居ねばならず 左ある時 家翁 家母安心仕り 申すべくや 元来茶山方 居り合わずにて国元へ帰り申すべく筈の所 上国へ来候はこのわけなり 上国の望みある故 居り合わずなれば 前後の相違あれども 先ずその道 理なり 一度他領の人になり候へば それより外へ参り候所国より問わず 先ず三年其のままなり 家翁も上国に来 負剣同遊 是より度々東遊仕るべしと申し 私も以来は時々帰省つかまつり申すべく 来春などは 家母 家妹も 来富という事僕かなりに馳走いたすべなど 家に居候ときとは 天地懸隔の体なり 是はかくなりそう勢いにて 今更いかんせん 履翁 越兄の論 正則正 いまだ知其中消息いかがか熟さざる されども儒と云て 抗顔為師を愧じ候は ここの所也 されば木屋町へなりとも引き込み 風流三昧にて暮申すべきと存じ候 ああ興言ここに至り 唯知己のもの諒察をこいねがうのみ 

楮に臨み悵々 不尽

五月九日

承弼仁兄          襄

 

 

大意

 

昨日書を託そうと思いましたのは 文選家の仁科四方という男 此男の手に合わず 延び延びになって居りましたが 

鑰彌(かぎや)より貴書届き 中井履軒.越智高洲.の山陽親不孝論 頂門一針 逃れようもありません 老兄なら如何されましょう 悩懊御察しださい されど父家翁 先ず只今の所

は安心しておられるかどうかなども 聞かれもせず 帰国したところで 家翁の気に入るやらはさておき 落城の(そしり)は免れないにせよ 是は命さへあれば 大丈夫と云うものの 扨ドンナモノか 帰れば出る事難しく 大坂 山権 の所謂一年一二度の遊子とは 国元の様子しらないから言える事 ならば茶山へ帰るのは 茶山受けるはずなし 

また国元へ帰れば 「私倅久太郎事 菅太中方 学統相続に遣り置き候所太中家風にあわず 差し戻し申し候」と云う書付を公へ出し これは廃息と云うもので なにか 過失有って家を継げず 国元には札付き々々というもので 札付き仲間にはいり 弟権二郎のすねをかじり 「あれは隣国へ養子に行ったが 不縁せられた もはやよい年のはずが つまらぬもの 聞けば上方へも行っていたそうな 食べられず すごすご戻つて来たそうな」と言われ 家翁百歳後 又上方へ出ようとして たとへ要路に知己がいても とりもつ者もなく 生涯権次郎方の居候になるしかなく それでは 家翁 家母安心も出来ぬということで 元来茶山方 居り合わずに国元へ帰るところを 上国へ来たのもこの事情で 元々上国の望みがあったので 前後の相違はあれ こういう事になって居り 先ず一度他領の人になれば それより外へでても国より問われず 先ず三年其のままで 家翁も上国し同遊 今から度々東遊しょうと申され 私も以来は時々帰省 来春などは 家母 家妹も上国という事かなりに馳走しょうなど 家に居るときとは 天地ほどの差 是はもう勢いで 今更引き返せません 履翁 越兄の言われる通り親不孝者が 儒者と云って大きな顔で師というのを愧じるのは 全くここの所で さればといって木屋町でも引き込み 風流三昧にて暮すべきかです

思ってもいない事申しました ご諒察お願いします 

最後にうらみごと申しました 不尽

五月九日

承弼仁兄          襄

 

語釈

頂門一針  人の急所 をついて強く戒めること。急所を押さえた教訓。

 

 

 

2016・11・2 小序

 

学海一滴 易堂鼎題 

 

語釈  

易堂:寺西易堂 寺西鼎(1824〜1916. 寺西易堂は名古屋の人、名は鼎、字は子善、号を易堂と 称し、詩文を藤森弘庵や後藤松陰らに学び、書を柳澤吾一に学んだ学殖深い儒者で、 大阪に住して能書家として知られ、筆力雄勁な書を書いた。

 


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