2018・8・26

熊本県苓北町

 

頼山陽は文政元年(1818)九州旅行に出ました。39歳から40歳にかけての一年間にわたる旅行で、山陽は数多の詩を詠み、知己を得るなど後半生の飛躍の礎を築いたのです。 ※2009年10月1日発行「頼山陽ネットワーク通信」(第2号)より転載。以下同様


 

頼山陽が苓北町富岡を訪ねたのは、この地に開塾していた儒者渋江涒灘(とんたん)を訪ねるためで、天草洋の美しさに感動し、代表作「天草洋に泊す」の名吟が生まれました。その一節は、地元苓北町立富岡小学校の校歌の一節にもうたわれ、昭和7年(1922)には天草洋を望む高台(頼山陽公園)に、山陽の直筆を刻んだ詩碑が建立されました。

 平成18年(2006)、天草洋を望む富岡城二の丸広場に、苓北町に関わりの深い頼山陽、勝海舟、鈴木重成、鈴木正三の四偉人の立像が建立され、今も苓北の地を見守っています。またこの名吟に親しみ、頼山陽先生を顕彰することを目的として、毎年、全国の詩吟愛好者に呼びかけ、吟詠「泊天草洋」全国大会が開催されています。

頼山陽公園の頼山陽詩碑(苓北町)
頼山陽公園の頼山陽詩碑(苓北町)

山陽が宿泊した旅館泉屋は、天保3年(1832)富岡の大火で消失しましたが、昭和44年(I969)その跡に「頼山陽先生宿泊之跡」の碑が建てられています。(左の写真)

手前の頼山陽像の向こうに勝海舟像、   さらには復元された富岡城が見える。
手前の頼山陽像の向こうに勝海舟像、   さらには復元された富岡城が見える。

吟詠「泊天草洋」全国大会は頼山陽記念文化財団、竹原賴山陽顕彰会、吟道賀道流竹原山陽吟詠会をはじめとして、関係機関の数多くのご協力により今年(2009年時点)で15回を数えます。

 

  泊天草洋        天草洋に泊す

 雲耶山耶呉耶越        雲か山か呉か越か

 水天髣髴青一髪     水天髣髴青一髪

 萬里泊舟天草洋     万里舟を泊す天草洋

 横蓬窓日漸没            煙は蓬窓に横たわって日漸く没す

 瞥見大魚躍波間     瞥見す大魚の波間に躍るを

 白當船明似月     太白船に当たって明月に似たり

(大意)

あれに見えるのは雲であろうか、山であろうか。それとも呉の国であろうか、越の国であろうか。水平線はあたかも一本の髪の毛のようにピンと張って見える。自分ははるばる京都から万里もはなれた天草洋に来て、船泊まりすることになったが、夕靄は静かに船の小窓のあたりに溢れ出し、太陽はしだいに西の海に沈んでいく。折りしも、大きな魚が波間に跳ねるのを見た。空には宵の明星(金星)が出て、船を照らしており、まるで月のように明るい。

 

以上は当時の苓北町役場の職員が送ってくださった写真や説明文を作成したもの。苓北町へは頼山陽記念文化財団や竹原頼山陽顕彰会が研修旅行として訪問し、交流を深めている。苓北町は平成9年(1997)長年にわたる頼山陽の顕彰と文化継承に尽力したとして第15回頼山陽記念文化賞を受賞している。私も2回訪問した。(見延典子記)

 

2016・10・17

10月23日

第22回吟詠全国大会「泊天草灘」

 

日本外史の著者・頼山陽先生は文政元年(1818年)8月当時富岡の城下に開塾中の儒学者を訪ねて富岡に一泊されました。

その時に天草洋の展望を「雲か山か呉か越か……」で始まる『天草洋に泊す』の名吟として残されております。


この名吟に親しみ、頼山陽先生を顕彰することを目的に、全国の詩吟愛好者に呼びかけた吟詠大会が開催されます。
愛好者の方はもちろん、初めての方も詩吟の魅力を味わいに、天草へいらっしゃいませんか。

 

■開催日時
2016年10月23日(日)
8:30開会

■会場
志岐集会所
天草郡苓北町志岐444番地1

■連絡先

苓北町役場商工観光課
Tel: 0969-35-1111

   見延典子
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