見延典子が書いています。

なぜこんなミスをするのか、自問自答しつつ調べるうち、光圀の周辺にある「スッキリしない部分」についてわかったことがある。

湊川神社内に「楠木正成戦没地」がある。史蹟指定は昭和26年。湊川神社内を歩くと、まさに明治に作られた特殊な神社であることを実感する。  右の写真は楠木正成戦没地。

2019・2・20

湊川神社③

 

19日付けで書いたものはまた間違いだった。左の写真で、徳川光圀が書いたのは右の八文字、左の文字を書いたのが京都の書家岡本元春(文は明の朱舜水)であった。お詫びして再度訂正します。

『大日本史』と一口でいっても、完成するまでに230余年を費やしている。頼山陽が読んだ『大日本史』は、現在伝わるものとは異なっている。今さらではあるが、そういうことだったのか、という気づきがあった。『大日本史』なんてほとんどの人(私を含め)は通読したことなどないはずから。この気づきについてはいずれ何かで書きたい。


2019・2・19

湊川神社➁ 頼山陽も

 

17日付けで「嗚呼忠臣楠子之墓」は徳川光圀が書いたは間違い。「揮毫は京都の書家岡本元春」と湊川神社のパンフレットにある(訂正済)

「頼山陽、墓所参詣、漢詩「過楠河州墳有作」ともある(右の写真)

寛成9年(1797)山陽が江戸遊学の途上のことである。

 

同じく17日付けで書いた「お堂」の写真も「三間四方の碑堂」として掲載されている。(左の写真)


湊川神社正門付近
湊川神社正門付近

正門右手に「大楠公(楠木正成)御墓所」と見えるので、進んでいく。

楠木正成の家紋「菊水紋」(緑色)

 「嗚呼忠臣楠子之墓  
 「嗚呼忠臣楠子之墓  

現在はあづまやのような屋根の下にあるが、江戸後期はお堂の中に保管されていたという(右は先進繍像玉石雑誌巻第一。国会図書館デジタルより)

2019・2・17

湊川神社①

 

大阪府に桜井駅址を訪ねたあと、神戸市にある湊川神社を訪ねる。「高速神戸」の駅から徒歩2分。楠木正成の戦没地で、墓がある。

徳川光圀が書いたという「嗚呼忠臣楠子之墓」の碑が建っている。周囲は柵で囲まれているので、写真はズ一ㇺで写す(斜め左下)頼山陽も拓本を見て、漢詩を残している。(進藤多万さんからいただいた読み下し、訳はいずれ機会があればご紹介する)

「嗚呼忠臣楠之墓」の碑の遠景
「嗚呼忠臣楠之墓」の碑の遠景

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

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 監督 東陽一

 原作 見延典子

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