2016・6・11   上田誠也さん「熊本地震の爪痕」

上田誠也さんが送ってくださった「熊本地震の爪痕」の一部をご紹介する。頼山陽詩碑のみならず、すべてが復元されますように。

写真左は地震前。右は地震後。

 

四賢婦人生誕地碑と四賢婦人記念館(益城町)


 

横井小楠先生頌徳碑と銅像(熊本市沼山津)


 

時習館 初代教授 秋山玉山の墓(熊本市小峰墓地)


 

西南戦争記念碑(熊本市黒髪)


 

藩校時習館 秋山・高本先生追遠碑(熊本市南千反畑町)


1年ほど前に移築された時の頼山陽詩碑
1年ほど前に移築された時の頼山陽詩碑

詩碑は中央部分で折れ、碑文を刻した銘板も落ちて、地震の激しさを物語っている(写真右)。

  よく見れば、台座がズレている。
  よく見れば、台座がズレている。

上田さんは「周辺にある多くの貴重な文化財も甚大な損壊をこうむり、いつになったら元の姿に戻れるか危ぶまれるところです」

2016・6・9

上田誠也さん

「頼山陽詩碑 倒壊の写真」

 

4月14と16日、2度にわたって熊本を襲った大地震。

 

熊本市ご在住の上田誠也さんからご連絡で、菊陽町の杉並木公園南ゲートにある頼山陽詩碑が倒壊したことはすでにお知らせした通りだが、その痛々しい写真が届いた。

写真を見る限り、粉砕には至っていないようにも思えるが、手前にはいくつもの石碑の破片が…。

上は震源地から近い益城町津森小学校にあった二宮金次郎像。今は足の部分しか残っていない(左)


送られてきた写真には、この他にも倒壊した多くの石碑や像が写っている。かける言葉が見つからない。

 

 

早くも本年10月22日(土)の講義「京都時代の頼山陽」の予告も!

 

お問い合わせ

seiya.1213-1065@docomo.ne.jp

 

2016・1・19

「漢学サロンニュース第9号」発行

 

ふれあい・いきいき漢学サロンの「漢学サロンニュース第9号」が発行された。

昨年10月17日、菊陽杉並木管理センターで、同サロン世話人上田誠也氏の講義「頼山陽の20代~30代」の様子も掲載。


2015・7・30 最新「漢学サロンニュース」


2015・5・25

熊本県菊陽町の頼山陽詩碑「熊基(くまもと)を発す」の移設

 

熊本県熊本市在住の上田誠也さんが発行する「ふれあいいきい漢学サロンニュース(号外)が届いた。

 

それによれば、熊本県菊陽町に建つ頼山陽詩碑「熊基を発す」が移設されたとのこと。

左の写真は移設前。


上の写真は移設後(杉並木公園内)


3年後の2018年は頼山陽の九州遊歴200年の節目の年。


「菊陽の恩人」としての頼山陽が多くの人びとに親しまれ「頼山陽といえば菊陽、菊陽といえば頼山陽」と称される日もそう遠くないでしょう、と上田さん。


皆様もぜひ菊陽町へ。

 

「ふれあいいきいき漢学サロン」に関するお問い合わせは右のアドレスまで。


2014・10・21 熊本紀行①


10月19日、熊本県菊陽町で講演をする機会を得た。頼山陽記念文化賞の受賞者で、熊本市在住の橋本正勝氏が熊本市内を案内してくださった。


まず訪れたのが「叢桂園」


熊本藩儒の村井琴山の屋敷だあった地だ。


頼山陽はここで如泰の南画を見せられ、一目で気に入る。なんとかわがものにしようと画策するも、ついに得られなかったという、「さもありなん」の逸話が残っている。

屋敷の礎石が残っている。
屋敷の礎石が残っている。
屋敷跡からを眺める。山陽も眺めた風景。
屋敷跡からを眺める。山陽も眺めた風景。

近くに湧水があり、園内にも清流が流れている(写真上)。苔むした石灯篭があり、往時の様子を彷彿とさせる(写真右)
近くに湧水があり、園内にも清流が流れている(写真上)。苔むした石灯篭があり、往時の様子を彷彿とさせる(写真右)

続いて向かったのは、

夏目漱石内坪井旧宅


熊本に赴任中の頃を回想しつつ書いた名作『草枕』の中に、頼山陽に言及する下りがあることは以前「関連書籍」でご紹介した。

熊本時代の漱石と鏡子夫人(中央の二人)
熊本時代の漱石と鏡子夫人(中央の二人)
「則天去私」は頼山陽を意識した / 見延説
「則天去私」は頼山陽を意識した / 見延説

この借家で長女筆子が生まれた。
この借家で長女筆子が生まれた。
熊本市内で最も人気のある資料館だという。
熊本市内で最も人気のある資料館だという。

2014・10・23

熊本紀行②

 

徳富蘇峰も熊本ゆかりの人物だ。

 

頼山陽を調べると、必ず出会う。


徳富旧宅は、徳富蘇峰、蘆花兄弟が水俣から移り住んだところ。

 

二人とも京都の同志社で学んだあと、蘇峰はここで大江義塾を開いた。

 


大江義塾は明治16年の徴兵制で塾生が激減。

 

師である新島襄は励ましを込めて「カルパタ」の種を送ると、塾は再び息を吹き返した。

 

左の写真は、徳富記念園にあるカルパタの木。

 

蘇峰の評価はむずかしい。蘇峰がいなければ、頼山陽の評価も変わっていたのではないかと思うこともある。

 

今後、調べたい人物の一人だ。

 

 

2014・10・24

熊本紀行③


いよいよ目的の菊陽町に向かう。

JR熊本駅から車で40分くらい。


196年前、39歳の頼山陽はこの地を訪れている。




熊基(本)を発す  頼山陽


大道平々砥しかず

熊城東に去ればすべて青蕪

老杉道をはさんで他樹なし。

欠くるところ時々阿蘇を見る


大きな道の平坦なことは砥石も及ばない

熊本城下を東に進むと、一面の青草である

老杉の並木が両側に続き、他樹は見当たらない

樹木の隙間からは時々阿蘇の山が見える

             上田誠也氏の訳による  


詩碑が建立されて80年。


豊後竹田を目指して豊後街道を進んだ山陽は杉の大木の勇壮な姿に感動して詩を詠んだ。


細川藩の代表道路にふさわしく、道幅36メートル、両側を杉の大木に守られて、阿蘇に向かって真っすぐ伸びていた。

 

現地に赴くと、山陽が詠んだ通りの風景が広がっていた。


ただ、道路工事に伴い、この詩碑は歩道の中央に建っている。

 

そのため近くの場所への移転が考えられているという。


頼山陽詩碑「発熊基」建立80周年記念 公開講座。10月19日。


主催者の上田誠也氏による挨拶。右は菊陽町長の後藤三雄氏。

 

会場は菊陽町図書館ホール。



この後、見延典子による「頼山陽の魅力」と題した講演が行われた。


日曜日で、運動会や稲刈りなどご多忙の中、約150名の地元の皆様が聴講してくださった。


今後は頼山陽を通じて交流していきたいと思う。


ありがとうございました。

翌日は熊本城へ


加藤清正が築城した熊本城は、清正の質実剛健の気風を表わすように、黒と白を基調としている。

城内はこの静けさから想像もできない賑わい
城内はこの静けさから想像もできない賑わい
天守閣からの眺望
天守閣からの眺望
シャトルバスも走っている
シャトルバスも走っている
近くの加藤清正神社 七五三の親子連れも
近くの加藤清正神社 七五三の親子連れも

本丸御殿の大広間
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本丸御殿の昭君之間
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   見延典子
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