尚古荘の頼山陽展ポスター(西尾市)
尚古荘の頼山陽展ポスター(西尾市)

2019・2・15 

湯谷祐三さん

「西尾の頼山陽展、終了御礼」

 

頼山陽ネットワーク各位

 

皆様益々ご清栄の事とお慶び申し上げます。


さて、昨年十二月一日より愛知県西尾市岩瀬文庫にて開催されました「西尾にも来た!頼山陽を知ってますか?」展は二月十一日に約二ヶ月間の会期を無事終了いたしました。皆様からいただきました有形無形のご支援に監修者としてあつく感謝申し上げます。開催前は世間の方々に楽しんでいただけるかどうか不安もありましたが、拙講演には定員を上回る御来場があり、図録小冊子は会期を二週間以上余して完売になるなど、頼山陽への潜在的関心の高さに驚いた次第です。今回の展覧をきっかけとして、当地における山陽の遺墨に関する情報も入ってきており、今後改めて御紹介できますことを願っております。以上、山陽展の御礼と御報告を申し上げます。

 

 平成三十一年二月十五日 名古屋市 湯谷祐三

 

特に記載がない場合は見延典子が書いています。

2019・1・22

三河の小京都 西尾市を訪ねて

 

若き日の頼山陽が訪れたという愛知県西尾市内を歩いてみた。

西尾市歴史公園から歩いて3分ほどのところにある尚古荘(右と下の写真)は西尾城東の丸の遺構を活かした日本庭園と建物。昭和初期に米殻商の大黒屋岩崎明三郎氏によって作られ、茶室や東屋などもある。

多くの蕾をつける木蓮
多くの蕾をつける木蓮
西尾駅から西尾城に向かう。
西尾駅から西尾城に向かう。

西尾城は、戦国時代に入城した酒井正親や田中吉政によって整備され、城域が拡張された。慶長6年(1601年)に藩主となった本多氏をはじめ譜代大名が藩主を務め、太田氏と井伊氏の時代に大改修された。明和元年(1764年)には大給松平氏が入城し、城下町も栄えたが、明治5年に廃城となった。天守閣も壊されたが、「本丸丑寅櫓」(左の写真)の櫓台だけは破壊を免れた。ただ、櫓そのものや鍮石門(ちゅうじゃくもん)は平成に入っての再建である。

西尾城周辺を歩いてみると、城域の広さを感じる。また周辺には多くの古刹がある。妙満寺(下の写真)は1659年(万治2)西尾城主増山正利が菩提寺と定め、現在の地に移した。西尾藩士の墓も多いという。


展示室の大看板
展示室の大看板
展示資料の一部
展示資料の一部

その後11月、有松から西尾に入った山陽は、豪商の深谷半左エ門の庭園「又深居」の記を制作したことや、およそ200年前の遺構が宍戸整形外科の敷地内に見つかったのである。

右の写真は現存する庭園に咲く花を所有者が写したもの。下は関連資料。

2018・1・15

山根兼昭さん

「岩瀬文庫講座を聴講して」

 

第1章 文化10年の西尾と名古屋の山陽の足跡

 

山陽は文化10年10月から約4か月間、美濃、尾張,三河、伊勢を旅する。美濃尾張では生涯交友が続くことになる江馬細香、村瀬藤城らを知りえたことは貴重なことであった。

美濃から帰った山陽は、名古屋宮町の小林香雪宅に居隅しながら、名古屋の文人たちと交友を深めた。

 貴重な写真です。謹んで掲載致します。


岩瀬文庫外観。3年前には皇太子も訪れる
岩瀬文庫外観。3年前には皇太子も訪れる

会場には次々と聴講者が訪れ、開始の14時には用意していた7、80席余りが満席。主催者側は補助椅子を用意して対応する。

大勢の聴講者の前で講演する湯谷祐三さん
大勢の聴講者の前で講演する湯谷祐三さん

講演内容については講演会用オリジナルのため差し控えるが、時にユモアをまじえながらのアッという間の90分であった。印象的だったのは講演後の質問時間。次々と質問が出て主催者が打ち止めにする一幕も。

講演後の展示解説の様子
講演後の展示解説の様子

2019・1・14

大盛況! 湯谷祐三さんの講演

 

西尾市の岩瀬文庫で湯谷祐三さんの講演会が開かれた。

質問に答える
質問に答える

講演後の講師による展示説明にも多くの方が聴き入り、名古屋での頼山陽人気というより、湯谷さんの人気に感服した。

 


2019・1・11

湯谷祐三さんの講演

 

現在、西尾市岩瀬文庫で開催中「西尾にも来た! 頼山陽を知ってますか?」展。1月13日は湯谷祐三さんの講演があります。お近くの方はぜひいらしてください。

 

 1月13日(日) 14時~

演題「岩瀬文庫の頼山陽展

      ーその見どころ勘どころ」 

講師 湯谷祐三(愛知県立大学講師)

 

 

お問い合わせ先

岩瀬文庫 愛知県西尾市亀沢町480

 (0563-56-2459)


「西尾」は名古屋駅から名鉄急行で50分
「西尾」は名古屋駅から名鉄急行で50分

2018・12・19

山根兼昭さん

「頼山陽が訪ねた西尾

 一水運、鰻、豪商、吉良、煎茶」

 


西尾市観光協会HPより
西尾市観光協会HPより

 

今回の「西尾文庫頼山陽展」は、山陽は大垣で水運をどのように利用していたのかを調べておりました。その時、大垣教育委員会の木嶋先生から「西尾の山陽展」のことを聞きました。

 

西尾については、名古屋にいてもあまり縁のない地域ですが、宇治に次ぐ抹茶の産地で、最近世界的な抹茶ブームで脚光を浴び始めております。南部は、「吉良上野介」の吉良町、ウナギ養殖日本一の一色町が有名です。

 

今回解かりましたことは、西尾は江戸時代より「木綿問屋」で栄え、「深谷家」もその一軒でした。先日、有松井桁屋で服部さん(当主)にお会いして、昔の話を伺いました。

 

1、有松の街は、山陽が訪問した一五年程前に、大火で全焼してしまいましたが、当時絞り染めは、藩の保護で無税、しっかり儲かっていたので、燃えない町作りが出来た。

 

2、木綿の仕入れは、あちこちでしていたが、「深谷家」からも買っていたと思う。豪商深谷半左エ門は六代目で一財を成した。(七代目の時山陽訪問)

 

3、井桁屋3代目当主が、山陽に深谷家を紹介したかどうかはわからない。深谷家は当時西尾きっての豪商であり、取引関係もあって、山陽を紹介したと私は思う。残念ながら、現在深谷家は断絶しており、今回の資料は地元の「宍戸整形外科」より発見されたもの。

 

4、煎茶道売茶流, 西尾も「売茶流」が盛んであり、1812年、知立の「八つ橋売茶翁」が広めた。山陽はその翌年西尾の「又深居」でお茶の接待を受けた、山陽と売茶流との因縁を感じます。

 

5、井桁屋服部さんより、19年度までに全国100ヶ所「文化地域」に国が指定。

その申請を有松もしたいとの話がありましたので、「ぜひ頼山陽をPRしてくれ」と頼みました。来年の商工会の総会(5月)に頼山陽の講演を依頼されました。

                           

 岩瀬文庫玄関
 岩瀬文庫玄関
「又深居記」(上、右の写真)
「又深居記」(上、右の写真)

1、「又深居記」 山陽は別荘の様子を「三河の戦国時代に想いを馳せ、農民の隠れた洞窟や、武将の構えた城郭よりも、「更に奥深く」(又深)心安らぐ庭園であると称えたのであります。

 

2、展示資料 

文政十年の旅

文政元年九州の旅

文政十年前後

天保三年山陽逝去迄

 

頼山陽「書自著通議後」         江馬細孔墨竹図
頼山陽「書自著通議後」         江馬細孔墨竹図

2018・12・18

山根兼昭さん

「三河西尾岩瀬文庫・頼山陽展

 

12月15日(土)「西尾にも来た!頼山陽」。解説 湯谷祐三先生

 

頼山陽は文化10年(1813年)11月、尾張有松の絞り問屋「井桁屋」を訪問した後、三河西尾の木綿問屋「深谷家」を尋ねました。

深谷家7代目当主・深谷?翁は文雅を好み、頼山陽を別荘「又深居」へ案内して歓待したのであります。

(感想) 山陽が西尾へも来たことを知りえたのは新しい収穫でした。地元の江馬細香や村瀬藤城の書簡をはじめ、広瀬淡窓や末広雲華、田能村竹田他多彩な資料展示に湯谷先生のご努力と、頼山陽史跡資料館のご支援を感じました。また山陽が西尾へ行く経緯を考えますと、「井桁屋は絞り問屋」、「深谷家は木綿問屋」。井桁屋八代目服部当主に取引関係にあり紹介したのか確認いたしましたが解らないと云う事でした。

 鳩居堂熊谷蓮心録
 鳩居堂熊谷蓮心録

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 

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南々社
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 監督 東陽一

 原作 見延典子

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