特に記載がない場合は見延が書いています。

2019・10・11

有松訪問記➃ 得月楼跡

 

有松を訪ねた後、山根兼昭さんの愛車で名古屋市中心部に戻り、頼山陽が名づけたとされる料亭「得月楼」があったという地へ。

近くを流れる川には月が映っていたのだろう
近くを流れる川には月が映っていたのだろう

近くには得月楼から独立したといううなぎ屋があり、名古屋名物「ひつまぶし」をいただく。山根さん、ご案内をいただくき、ありがとうございました。

 

得月楼があった地はビルの谷間に
得月楼があった地はビルの谷間に

2、3年前まで残っていたが、残念ながら火事に遭い、取り壊されたという。

現在は公園のようになっている。
現在は公園のようになっている。
名古屋名物「ひつまぶし」
名古屋名物「ひつまぶし」

進藤多万さん(右)、見延典子(左)
進藤多万さん(右)、見延典子(左)

頼山陽がこの地を訪れたのは、「桶狭間の戦い」に関する取材が主目的だったのではないか。

「今川義元戦死之地」の石碑
「今川義元戦死之地」の石碑

2019・10・10

有松訪問記③ 桶狭間古戦場公園

 

有松の古い街並みを残す地区から、車で三分ほどのところには、「桶狭間古戦場公園」がある。

織田信長像(左)と今川義元像(右)
織田信長像(左)と今川義元像(右)

「桶狭間古戦場」とされる地は、この有松以外に、もう一カ所あるといい、どちらが正しいか、現在も様々な意見があるという。


桶狭間古戦場公園
桶狭間古戦場公園

今川義元の首級を洗い清めたとされる泉だそうだ。

児童公園よりやや広い桶狭間古戦場公園内には水路(泉)があり、水が流れている。

今川義元の首級を洗い清めたされる泉
今川義元の首級を洗い清めたされる泉

頼山陽が生きていた時代は「桶廻間」と書かれていた。
頼山陽が生きていた時代は「桶廻間」と書かれていた。
コ一ヒ一に付く「天保通宝」「元豊通宝」
コ一ヒ一に付く「天保通宝」「元豊通宝」

コ一ヒ一を飲みながら、マスターと話すうち、なんと、拙著『頼山陽』の愛読者で、蔵書を見せてくださった。これは嬉しい。感激である。

2019・10・9

有松訪問記➁

 

井桁屋を訪問したあと、山根兼昭さんに誘われて、有松鳴海会館1階にあるカフェ&レストランの「さらび」へ。本来はロシア料理の店で、頼山陽詩碑のチラシも置いている。

マスタ一はなんと拙著『頼山陽』の愛読者
マスタ一はなんと拙著『頼山陽』の愛読者

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 石村良子代表の編集

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南々社
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 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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