見延典子が執筆しています。

伊丹発祥の「男山」が江戸で人気になり、あやかって「男山」とつけるようになった。いわゆる後発の酒には「陸奥男山」というように小印をつけた書き方がされるという。

(羽陽男山のホームページより)

2018・7・5

「男山」のロゴ

 

改めて調べてみると、現在、日本各地で「男山」という名の日本酒が作られているようだ。

ということは「○○男山」とある「男山」のロゴは頼春水が書いたものではないということか。なかなか真相には辿りつけないようで…。

 

 


 歌川国芳作の浮世絵「誠忠義臣名々 

 鏡」。吉良邸討ち入りを果たした赤穂

 浪士が飲んでいる樽酒は男山。後ろに

 剣菱の樽も見える(写真提供:男山)

※遅くとも幕末までに描かれた。伊丹の酒が「下り酒」と呼ばれた頃の一枚。

もっとも男山の担当者のお話では、「男山のロゴは頼春水が書いたものではなく、新たに作りあげたものと推測される」とのこと。

 

男山のホームページには「男山の前身は山崎酒造。新潟出身の初代山崎與吉が1887(明治20)年に札幌で創業し、1899(明治32)年に旭川へ移ってきたという。有名な『男山』の銘柄は、江戸時代に伊丹(兵庫県)で誕生し、徳川将軍家の「御膳酒」に指定されるほどの銘酒だったが、明治初頭に蔵元が廃業。以降

2018・6・29 

北海道旭川市「男山」

 

6月23日頼山陽文化講座で講師を務めた頼山陽ネットワーク顧問の頼一先生が「男山のロゴは頼春水が書いた」と話された。頼先生は想像では発言されない。必ず根拠になる文献がある。そこで本来なら頼先生にお尋ねすればいいところ、「男山」に直接、訊いたほうが話は速いかと思い(笑)問い合わせた。

 

するとご丁寧にも返信があった。出典は頼春水著「在津紀事」で、その中に「余の書く所のもの(男山)の印となす」と書かれている。頼先生の論拠はここにあったのである。

写真/石村良子頼山陽ネットワーク代表     

※現在の「男山」のひげ文字風のロゴ


その名にあやかろうと全国に『男山』を名乗る酒が数多くできたものの、本家の末裔から正式に継承を受けたのがここ、旭川の男山」と書かれている。

 

担当者が「男山のロゴは頼春水が書いたものではない」というのだから強くは言えないが、歌川国芳(1798〜1861)に描かれた「男山」のロゴと現在使用されている「男山」のロゴとのあいだに大きな差異があるようには見えない(歌川国芳に限らず、絵師は細かいところは本物に似せて描く傾向が強い=見延説)

 

春水が「男山」、山陽が伊丹の「白雪」(「剣菱」を詠んだ漢詩もあり)、聿庵が倉橋島の「三谷春」と三代にわたり、酒のロゴを書いたとすれば、頼家と酒の話題もいっそう盛り上がるであろうに……。

 

願わくば、現在の男山のロゴが誰によって、どのように作られたのか教えていただきたいものである。

 

   見延典子
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