見延典子が書いています。

2022・11・22 現地を訪ねて

足利軍と新田軍の合戦の地「金ケ崎城跡」② 

 

 山道をさらに登っていくと「金ケ崎城跡 尊良親王御墓所見込み地」の看板が見える。

 ※尊良親王(たかなが、たかよし)は後醍醐天皇第一皇子。母は藤原為子。元弘の変のとき土佐国に流される。建武新政府の成立によって帰京し、東国管領として新田義貞とともに足利尊氏と戦ったが敗れる。1336年(延元元)皇太子恒良親王を助けて金崎城に拠ったが、1337年(建武4=延元2)足利軍のために落城、自害した。

 但し、説明板を読めば、あくまで「御墓所見込地」であって、京都市内には同親王の墓所があるという。

(下の説明板ご参照ください)

 明治という時代の歴史観に親しめないのは、こんな点にもある。


 さらに登っていくと、金ケ崎古戦場の碑がある。

 のぼりはじめて3、40分。ようやく最終目的地の月見御殿に到着。南北朝時代の金ケ崎城の本丸跡で、金ケ崎の最高峰。海抜86メートルというが、登ってきた実感では、もっと高いような気がする。


眼下には敦賀湾がひろがる。敦賀原発からも近い。

金ケ崎全景。ネットより
金ケ崎全景。ネットより

 金ヶ崎周辺は埋め立てによって地形も変っているが、当時は天然の要塞であったことがわかる。

 残念ながら頼山陽はこの地を訪れていない。合戦の地の多くを踏破していた山陽のこと、もう少し長生きしていたなら、訪ねたい地だったのではなかろうか。


2022・11・18 

現地を訪ねて

足利軍と新田軍の合戦の地

「金ケ崎城跡」

 

 10月末北陸への旅の途中で、頼山陽『日本外史』「新田氏」や現在ホームページで連載中の「足利氏」にも書かれている「金山城跡(福井県敦賀市)」を訪ねた。

福井県敦賀市は琵琶湖、京都にも近い。


金崎宮(敦賀市)
金崎宮(敦賀市)

 金崎山の麓には尊良親王、恒良親王を祀る金崎宮があった。気比大宮司氏治の居城であったという。1337年(延元2)ここで足利軍と新田軍の合戦があり、攻めた足利軍が落城した。縁起に書かれた由緒によれば、明治26年に造られた。明治という時代性が伝わる。

現在の気比神宮(敦賀市)
現在の気比神宮(敦賀市)

摂社絹掛神社
摂社絹掛神社

 金ヶ崎城を訪ねたのは、ここで討死した新田軍方の武将「長浜顕寛」に興味を抱いたからだ。見延典子の石川県出身の曽祖父は「長濵」姓である。この「長浜顕寛」と接点はないだろうかと思ったのだ。

 絹掛神社にはその長浜顕寛も祀られている。

摂社絹掛神社に参る。
摂社絹掛神社に参る。

 地元住民にも親しまれている格好の散歩コースというイメージがうかんだが、実際歩き始めると、日頃の運動不足を思い知らされるなかなかにハードな山道であった。

         続きます。

 さてここから金ヶ崎城跡を目指して歩く。

 周辺の住人だろうか。散歩にしてははやい足取りで山の上へとのぼっていく姿がある。

登りはじめはこんな感じ。
登りはじめはこんな感じ。

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

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