「十旬花月帖」(頼杏坪著)全文を読みます。広島から京都への旅です。

特に記載のない場合、石村良子代表が執筆しています。

2018・6・17 嵐峡花見1

 

嵐峡花を看る(いずれ)の處か(よろし)からざるなし 山松深き處(こと)奇なるを覚ふ 誰か(しら)ん老硬の(そう)鬚子(しゅし①) (かえ)って紅姫の為に艶姿を(たす)く。

満峡の綺羅終日(かまびす)し千金惜しむべし春宵(しゅんしょう)(なげう②)つを。両岸花有り

人去り尽きて。(午後11時)更月に(ともな)いて(けいきょう)(わた)る。

簟箔(でんはく②)竹椽幾塲開く。山花多き處酒茶忙し。夜深くして遊人を断送(だんそう)せし後。独り嬌娥(きょうが④)使()て百床を領せしむ。来り問う山樊(さんはん)(すい)(ひん⑤)と。

(くも)()(みず⑥)若く(ごとく)去りて跡なく。只三花有り(きゅうしゅん⑦)(おなじゅう)うす。

右(はじめの)四絶句 杏坪

あらし山にて雪月()といへる亭にやとりけるに月のあかかりければ

月花のひかりはやがて雪なれば 三つを一夜に見るやどりかな

雪月花三つの扁題は(きゅう)(らく⑨)が書なりと聞きて

大井川花はあとなくなりるれど 三つの水茎今ものこれり

嵐山より帰る夜も月のいとおもしろかりければ

あらし山花を見すてて帰るさを 引とどめけるも月の影かな

太秦にて故事をおもい出でて

われもまた下うずまさにやぶれけり 花をとうとて野山あるけば

                        ただなご

おもいかね花にくらして宿かれば 月ぞさかりの嵐山かな

又やみん老いもさかりの嵐山 月と花との春のあけぼの 梅

 陪遊於嵐山三首

  1. 松の異名 自分の事にたとえる

  2. 春宵一刻価千金 蘇東坡の詩に本歌ある 放り出すのが惜しい

  3. 竹の莚

  4. 月の女神 月の異名 蓬莱の薬を服用しており、不老不死である。月の兎達の指導者

  5. 山の端と水際

  6. 似雲 1673~1753  浄土宗の僧和歌をよくす嵐山に庵す   広島人

    若水 16711729 入江若水 漢詩人 摂津富田人京西山に庵す

   風流な名の二人を詩意に掛け いれた

  1. 旧春 

  2. 雪の家 月、雪、花とて三軒茶屋と呼ぶ也その雪てふ茶屋にやどる

    (梅颸日記文政二年三月二十四日)写真は明治4年ごろ

  3. 亀田窮楽1690~1758書家

 

月花:嵐山渡月橋北岸西側の三軒茶屋「旗亭」を保津川南岸から北に望む。明治4年頃長崎大学写真(上)治時代の嵐山渡月橋(左)

 


2018・6・7

十旬花月帖「嵐山花見」

 

京に入りて竹中文()の杏花園を()ひ賦して贈る

洛を(けん)するの医名久く已に()く。董林花裡に仙亭を問う。一株(うえ)ず君(いか)るを()めよ。半壁(はんぺき)詩を(とど)む病杏坪。


 

神仙伝に董奉(とうほう)、人のために病を医し(むくい)を求めずして只杏樹を種えしめた、董仙の杏林と云ふ、己の号杏坪なるにより思いをなす

高山仰慕する幾年来。(たちまち)喜ぶ春城(おなじ)く杯を()()ふ莫れ()(らん)の花(ひらく)くこと(おそ)しと。白桜亦是れ君を待って開く

清輝楼に集う杏坪先生に呈し奉る一粲(いっさん(賛)) 紀選(浦上春琴)

嵐山 花見くらして やどからば 月もさかりに 匂ひけるかな 杏坪

()着月                      (ひゃく)(こく)

 

一痕宵月(しゅん)(じん)に落つ。(すいしゃ④)(もた)る新柳の陰。(あつ)(みつ⑤)何ぞ妨げん()(ちく⑥)を絶つを。満堂の金玉(きんぎょく⑦)余音(よいん)有り。惟柔 呈諸子

鳴り物の禁も(ゆる)みて東山の花見にまかり長楽寺にてよみける

さかりなる 春をみやこの さくら花 さかゆ()少女(おとめ)

むれあそびつつ

嵐山の花見にまかりけるに正輔うじにはじめて逢い侍りければ

                    惟柔

世にたぐひ あらしのやまの花のもとに 又たくひなき人に

あひけり

  1. 竹中文助(竹中文輔 たけなかぶんすけ) 1766~1836 紀伊田辺の人。和田泰純に外科を,また池田独に天然痘の治療法をまなび,京都で開業して名声を博した

  2. 浦上春琴1779~1846年文人画家。浦上玉堂の長子

    画中では 琴字今が金になっている

  3. 小田海遷1785~1862は南画家。 通称良平、名は羸

  4. 水辺・水中に建てられた,四方が展望できるように柱だけで壁のない高殿

  5. (あつ)(みつ) 音曲の中止

  6. 琴と笛

  7. 詩文の美なるものを金玉の声ありと云う

  8. 栄える 咲き乱れる

     

付記 梅颸日記「第二京遊日記」

 

三月六日 清輝楼より呼び久太郎出かける 小石、春琴誘いに来る

  七日 夕方 山紫水明處にて酒宴、平塚瓢斎、笠山夫婦、天野俊平

     後より

   八日 長楽寺花見 かん桜盛り

  十日 御所、金山まで三千三つれ聖護院森に能見物おりえ、細香同行

     南翁 久太郎は錦小路 竹中文輔に招かれいく

   十三日 嵐山花見見分に 常太 謙蔵いく

   十五日 嵐山花見に行く、翁、余(梅颸)籠

   十六日 笠山、三千三、三五、大蔵、細香、甥、門人連れ、川那邊岱

       正輔 比禮雄 籐七夫婦、子供連れ  同行する

 

 

浄春寺門 義斎先妻浅川氏柳の墓がある。芭蕉の碑、田能村竹田の墓もある。
浄春寺門 義斎先妻浅川氏柳の墓がある。芭蕉の碑、田能村竹田の墓もある。

 

別来三十有餘年。忽ち翁の来るを聞て喜びて(てん②)せんと欲す。(たす)けて軽舟に上って春色を賞す。江花江柳共に欣然。舊を問へば()為る(なる③)は口に出すは()めよ。()(てつ)(りゅう)如く(ごとく④)能く酒を勤む。

明日三日又舟遊し。酔夢を裁せて皇州に入らん。 

      弼(篠崎 小竹)

2018・5・16

山陽の出迎え

 

先生浪華に到るの日に子成(しせい①) (てき)に京より来たり迎う,因て余に謀りて舟遊す 丁亥三月二日也

頼山陽の母方祖父母の墓
頼山陽の母方祖父母の墓

韵を次して賦して謝す

 

(こく)賜う(たまう⑤)こと十旬暮年を楽しむ。謝す汝が迎へて老いを(ねんごろに)(てん)(たす)くるを。良朋の旧好を(あたたむる)むる有り。津(摂津)上の風物(ふうぶつ)蕭然(しょうぜん⑥)たらず。

 

江魚の枕下(ちんか⑦)亦口に(かな)ふ。一椀已に酔う丹醸(たんじょう⑧)の酒。酒醒めて端無く昔遊を悲しむ。江山恙なし古皇州。

 

結末追憶(あん)道子(どうし)(きん⑨)諸亡友            柔(杏坪)

住吉のしおひにまかりて 

 

かすみつつ 潮干人こそ 散しけれ けふ住吉の あられ松原

 

  1. 頼山陽の(あざな)

  2. 正気を失う

  3. 舊を問へば,、、旧友が死んで居らぬと云うな

  4. 才のすぐれたること

  5. 休暇をいただく

  6. 蕭然(しょうぜん)  もの淋しい

  7. 魚脳中の骨を枕といふ、又身を丁といふ。

  8. 伊丹

  9. 篠崎三島 葛子琴

 

 

梅颸日記「第二京遊日記」

 

  1. 3月3日住吉参詣 霰松原の碑 住吉舟遊

 

住吉は江戸時代中期まで、海岸線であった。そして白砂青松の名勝地で、松風が霰を吹きつけるように響いたのでこの名があるという。

 

  1. 34日龍渕寺 浄春寺に墓参 四天王寺参詣

  2. 35日伏見稲荷に参拝

    三本木に到着 支峰(5)三樹(3)初見

    劉淵寺の飯岡義斎の墓(梅颸の父

 

 

 

 

 

頼杏坪が書いた「十旬花月帖」(上)

備後神辺にある廉塾ならびに菅茶山旧宅(右)右写真提供/広島フオト歩き

2018・5・11

神辺に到着

 

神辺に到着

梅颸、杏坪、三千三(13才)、頼常太(立斎),太蔵,久蔵(二僕)

宮原節庵(尾道より同行)


頼千祺先() 梅夫人(   ②)て北上す 此れをして

送り奉る

 

たちかぬる 身をこそなれし 旅衣 こころはおなじ 

はなにあれども

はるかぜを まかせていへる 旅衣 うらやましくも 

みゆる袖かな 

うちつれて はなにといそぐ 旅衣 立ち返る日を 

まつぞわびしき

花をみに こころにけふぞ おもい出ぬる 旅衣 さくらが

もとに 二夜いねして

旅衣四章 三章は章五句 一章は六句    晋帥

 

茶山先生を訪ふ

駅門馬を(くだ)れば(すで)斜暉(しゃき③)。認め得たり(すい)楊樹(ようじゅ)()の扉。一見して先ず(よろこぶ)ぶ叟の(つつが)なきを。生顔鶴髪白衫(はくせん)(え④)

先生今年八十此れを賦して寿を為す

人生七十古来稀なり。況や復た八旬(たくみ)に詞を為す。朝堂(ちょうどう⑤)(ほしいまま)に杖を()くを(うらや)まず。天下に横行(おうこう)す五千の詩。      柔

遠く春事を尋ねて皇幾にいる、妙思名花麗奇を闘わす。芳野山中千嶺の雪。(けい)(ぬ⑤)(たん)(じょう⑥)一嚢の詩。

千祺先生北上するに賦して呈す    晋帥

  1. 頼杏坪 この時72才

  2. 頼静 山陽の母68才

  3. 夕景の事

  4. 単衣の着物

  5. 礼記には八十は朝に杖をつくとあり

  6. 下僕

  7. 荷物

 

2018・4・29 十旬花月帖 出発

 

春草

(ぎん)()(あん)出でざること十余年。始めて向かう五幾煙水の間。 孤客京城花満つの日。 (こうべ)(めぐ)らし(かえ)って望まん故郷の山。

春曦楼(しゅんきろう)観午上人 菖野諸氏に(りゅう)(べつ)

(わかち)て山字を得たり。

京洛の東風二三月。鶯花海裡(おうかかいり)に身を投ぜんと欲す。人情の忍び難きを

(かるがる)しく(なげう)ち去る。数畝の家園数樹の春。

(まさ)に門を(いで)んと二十八字を留む。         杏坪  柔印

 

吾宿の 花やうらみん 旅ころも みやこの春に けふいでたつを

いでつつも 身をわけばやと おもうかな やどのはなにも

心のこりて

ことの花 匂いにこめて かえりませ 難波わたりの 

春のはる()を                  八千頴   

けふよりも こころは花に なりにけり 都の春に 思いたつ身は

さくら色に 袖をそめてや かえらまし 花に旅たつ 春の衣手

                        柔

  1. 春のはるへ   春の頃、春先

 

 神戸楠公墓所(湊川神社)
 神戸楠公墓所(湊川神社)

出立前の文政10年2月10日山陽から杏坪への手紙「大阪着までの船中用意の銀銭のみでよろしく….」後は自分持ちで、春水の19日忌祭済み次第乗船するようにと 待ちかねる様子書き送っている

 生田社拝殿
 生田社拝殿

2018・4・3

十旬花月帖➁

 

梅颸68才杏坪72才

山陽48才茶山80才

木米61才竹洞53才

 

竹田51才春琴50才海屋51才景樹58才小竹47才百谷44

 湊川神社拝殿(墓地にある楠公社)
 湊川神社拝殿(墓地にある楠公社)

2月19日  

春水の忌祭追え夜4つ(午後10時)乗船

20日  夜 竹原着 

21日祖先の墓参

22日  尾道上陸

23日  神辺 宿


3月1日  楠公社 生田社 巡拝 西宮、尼崎、たそがれ頃

        中之島広島藩蔵屋敷に着く

      山陽出迎える

   2日  小竹 梅颸、杏坪一行招き舟遊

   3日  後藤松陰、広瀬竹梁らと船で住吉に

   4日  淀川を遡り 

  5日  4つごろ伏見に着き 駕籠で三本木水西荘に着く

 

 

「頼先生游記帖」は頼杏坪が広島を2月19日に発ち京阪・吉野・有馬温泉などを巡り、5月22日に帰着するまでの間、詩画帖を携えて行き、自身漢詩や和歌を書き記し、諸家の揮毫を受けた記録書である。

2018・3・31

十旬花月帖①文政十年北遊記

 

古文書教室では4月より「頼先生游記帖」を勉強する。 読み下し本はないという事なので 順次こちらで紹介していきたいと思う。


参考本は坂本箕山「頼山陽」 序文は、頼元緒古梅先生、肩書に頼山陽曾孫、広島陸軍幼年学校教官とある。また一人は大隈重信、肩書は前内閣総理大臣侯爵。昭和はじめごろの頼山陽の立ち位置がうかがわれる

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