「十旬花月帖」(頼杏坪著)文政10年、広島から京都への旅です。

特に記載がない場合は石村良子代表が執筆しています。

2018・12・15

望月信子さん

「神辺の菅茶山邸と廉塾」

 

頼梅颸京游記

文政10年2月22日 忠海宮床 尾道 今津 

223日 神辺


 

神辺の菅茶山邸と廉塾

 

今年(2018)は菅茶山生誕270年になるのにあわせて10月に広島県歴史博物館に館所蔵の重要文化財「菅茶山関係資料」の常設展示場が開設された。広島県文化財協会の臨時研修でその展示を見に福山を訪れその後神辺まで足を延ばして廉塾を訪れた。

 

 

表門からまっすぐ小径を進み中門をくぐると講堂になりその続きに西側に二階建ての茶山の自宅がある。講堂は三間続きで右側には広い濡れ縁がある。講堂の脇には高屋川から引いた水路があり、塾生はここで筆や硯を洗った。その洗硯場ちかくには大きな柳の木が大きく葉を垂らしていた。

 

 

ここには常時30名ぐらいの塾生がいたそうだ。質素なたたずまいの講堂の中に足を踏み入れるとここで塾生を教育することに生涯をささげた茶山と、ここに落ち着くことのできなかった山陽と、この2人の想いが押し寄せてくるような気がする。この2人をそして多くの塾生を柳の木はいつも見守っていたのだろう。それはもう200年以上も前のことなのだと不思議な感覚を味わった。

註:菅茶山は五柳先生(陶淵明)を自任し五本の柳を植えたという

 

 

 

2018・12・9

竹原

 

頼梅颸「京遊記」

文政10年221

留春居、春風館

註:留春居は現在下蒲刈に移築、白雪楼。天游館額春風72歳書

 

なぜか同下蒲刈「松涛園」に吾が先祖の画家島村湛山の画が2幅飾ってある


2018・12・6

音戸の瀬戸「五勝楼」

 

五勝楼:命名は頼春水と伝えられる。屋今田太郎平という人は、瀬戸島の庄屋であり酒造りをしていた人、五勝楼の離れが現存している.


 

五勝  一、波上の展輝 二、欖外(らんがい)の帆影三、松間の名月四、浦口の漁火

     五、楼下の潮聲

宿暗門憶會随家君泊此今十一年矣 舟暗門(ふねあんもん)宿す(しゅく)憶う(おも)(かっ)って

(随い泊(したがはく)(ここ)今に(いまに)十一年矣 (じゅういちねんなり(

 

頼山陽  文化11年9月11日山陽35歳

 

蓬窓月暗樹如烟       (ほう)(そう)月暗(つきくろ)うして樹烟(じゅけむる)如く(ごとく) 

拍岸波聲驚客眠       (きし)()つの波聲(はせい) 客眠(かくみん)驚かす


)

 

黙數浮沈十年事       黙して(もくして)(かずう)浮沈(ふちん)十年(じゅうねん)(こと)

平公塔下兩維船       (へい)公塔(こうとう)下兩(したふた)(ふね)(つな)

 

船窓から見る月も暗く、樹色もけむっているよう

岸をうつ波の音も高く、客のねむりを覚まさせる。

黙然として指折りかぞえる、父君とかって此処に泊まった時から十年、我が身の浮き沈みがあった事を。

今、清盛公の塔の下に再び船をつなぐ。

註:暗門は音戸の瀬戸

 

 

 

220日瀬戸 五勝楼上陸

2018・12・2

十旬花月帖写真紀行「出発」

 

頼梅颸京遊日記より

文政10年219日頼杏坪一行 杉の木邸出発(現広島市袋町頼山陽史跡資料館)

 

左写真 現在、五勝楼はこの土蔵裏に移築、下写真隣の130年続く呉服屋を改装した「天仁庵」でお昼をいただき色々教えていただく(音戸大橋下、引地一丁目)


   見延典子
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