「十旬花月帖」(頼杏坪著)全文を読みます。広島から京都への旅です。

石村良子代表が執筆しています。

 

2018・8・13

奈良から京都Ⅰ

 『護良親王出陣図』Wikipediaより
 『護良親王出陣図』Wikipediaより

南都の般若寺を過ぎ大塔(だいとう)親王(しんのう①)の事を感じて三首を作る

【丹青剥落して(ぼう)(だい⓶)存す。猶(おも)ふ延秋賊を避て(はし)るを。(仏の経典)()るまさに雲五色を為して肉眼を眩迷(げんめい)して龍孫(りゅうそん③)(たす)けんとなすべし。】

 

  1. 護良(もりよし)親王(しんのう) 延慶元年(1308年) - 建武2723日(1335812日)は、鎌倉時代後期から建武の新政期の人物。後醍醐天皇の皇子大塔宮(だいとうのみや)と呼ばれた。。。足利尊氏と対立し、鎌倉に長期幽閉された末に殺害された。

  2. 立て札

  3. 皇子を言う

    (たい)(じつ④)重ねて()元帥(げんすい)(はた)(いかでか)(しか)ん。

    (かい)(きん⑤)萋菲(せいひ)(お⑥)るに當時畢竟乾坤(せま)し。土窟経函(どくつきょうかん)是非(ぜひ)(な⑦)し。】

  4. 皇運傾く

  5. 貝の如く模様の美しき錦

  6. 錦の人の目を眩ます如く言葉を美しく飾り立てて、人を陥れる萋斐貝錦

  7. 当時の天地既にせまくして皇子の御身をいれぬのだから土窟も経函も善し悪しはない

 

地窖雲(ちゆうくもなまぐさ)く日明を(おお)う。刀を賊手に付して()(じょう⑧)()る。来るも六十餘州の(くろがね)収め(おさめ)大錯斯(だいさくかく⑨)(ごと)きは打ち成さず。】  襄未定稿

  1. 皇子を言う

  2. 全国の鉄の集めてもこのようになる大錯(だいさく)は打つことは出来ぬ(さく)(とう)といい金を塗りたる刀形の銭あり其の字を仮て錯誤(さくご)喩え(たとえ)て間違いをしたるという

 

般若寺は飛鳥時代に創建され天平のころ平城京の鬼門を鎮護する寺となる。以来、般若経の学問寺として栄える  

      般若寺ホームページより

三輪にて

手向けには何をしるしになさましや むなしく過ぎるみわの神杉

春日は花のこらずちりたり

春日野にもゆる若草はむ鹿のはなをもともにあきになりけり

おおかたの桜は散りて花かずに馬酔木(吹)けり春日野のもり

猿沢の池のほとりにやどりともに風あらく吹きければ

聞くもうし花おもひねの旅枕 風波さわぐ猿沢のいけ  柔

井手の玉川  京都府観光協会より
井手の玉川  京都府観光協会より

2018・8・5 

初瀬、奈良

 

南都の般若寺を過ぎ大塔親王の事に感じて三首作る。

初瀬にまいりけるに遅ざくら盛りなりければ    柔

いざさらば人よこもらんこもりくの 初瀬のさくらいまさかりなり

三輪山「三輪の神杉」として神聖視され、後世に三輪山の杉葉で造られた杉玉が酒造りのシンボルとして酒屋の軒先に飾られるようになりました

 

正輔ぬしが山吹一枝短冊につけて

またもきて見らんことは玉川の岸の山吹折て遊ばねとありければ  惟柔

 


折まくもたまたま君と来てぞ見る井手の玉川山吹のころ

泉川いつかまた来てみかのはらよせてかえらぬしがのしらなみ

いまの木津川はいずみ川なりち聞きてかくなんよみける

宇治の萬碧楼にやとる風あらく吹きけり

 

日を経つつ(なお)み吉野の花の夢 うちさましけりうじのかわなみ

よを宇治とひとはいへども来るたびに 心やらるる川のおもかな   梅颸

 

 

2018・7・29 旅の行程表

 

文政10年1827 杏坪72梅颸68山陽48支峰5三樹3梨影31達堂13

これからと旅の終わりまでの行程表です。頼家の皆様の健脚、元気さに驚きます 年譜参考資料 「梅颸:第三回京遊日記」

 

2.19

 

途中略

 

3.22

3.23

3.26

3.27

3.28

3.29

3.30

 

4.11

4.13

4.18

4.19

4.24

4.29

 

5.1

5.3

5.5

5.7

5.8

5.10

5.1618

5.1921

 

 

 

 

午後10時乗船 達堂(三千三)杏坪.立斎  梅颸

手島三五 僕久蔵太蔵

 

 

多武峰を経て初瀬もうで

奈良遊覧

知恩院の花見

大槻磐渓を迎え水西荘に開宴

平野の花見

再び知恩院の花見

賀茂に遊ぶ

 

石山次いで三井寺順拝

賀茂御影祭り見物

三条柏葉亭晩餐会

東寺田邉氏に招かれ三条みなとやにて会飲

銀閣安楽寺遊覧

高雄

 

嵐山

清輝楼に留別宴

上賀茂競馬見物

砂川

京都立つ

有馬着

茶山宅

竹原

帰宅午後4時頃

 

 

 

 

 

 

 

 

詩の意は天智天皇と鎌足とは君臣心を同して入鹿を誅せらるたるを今此多武峰には金碧の輝ける社殿があるが、近江の天智陵は知る人もないと慨嘆しのである。

 

【四合の岡巒(こうらん)煙霧(じょう)す。輝煌(きこう)たる碧廟廊層(へきびょうろうかさな)る。風雲一體(ふううんいちたい)君臣(くんしん)(わざ)。誰か(そらん)ぜん。天智(てんち)(りょう)】①

  淡海   草莽臣襄

2018・7・24

芳野花見Ⅱ 多武峰(とうのみね)

芳野花見Ⅱ 多武(とうのみね)

画賛

【芳野山の意。(こころみ)に旅館の燈底に写す。酔眼眵昏(すいがんしこん)倍憤々(ますますかいかい)たるを覚る也。然れば芳埜河を渡り山に入る時.煙雨空朦(えんうくうもう)として見る所(かく)の如し.唯余が筆墨の浄からざることのみならずなり】

          襄          

多武峰にある鎌足を祭る談山神社(たんざん じんじゃ)


京都市山科区御陵(みささぎ)京都で一番古い天皇陵である「天智天皇陵」

      写真はいずれもネットより

うち手折(たお)るたむ山霧わけ入りて 見ればみがけるみたま殿かな 

       惟柔

【芳川北に(わた)って羊腸を歴す。多武の峰東千仭の岡。背指(はいし)(あに)(はか)らんや(こう)()(きわ)。分明に高閣(こうかく)蔵王(ざおう)(みと)む】 

芳野の帰路其の山上にて此れを作る。   惟柔

春風の吹きたむみねが山さくら ときも遅きもさかりなりけり

 


   見延典子
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