「十旬花月帖」(頼杏坪著)全文を読みます。広島から京都への旅です。

石村良子代表が執筆しています。

 

2018・10・1

公卿日野南洞公に招かる

 

 日野南洞公(日野資愛)の書簡     国文学資料室提供 
日野南洞公(日野資愛)の書簡     国文学資料室提供 

日野(ひの)亜相(あそう)(とう)(こう①)(えん)(たま)()賦す()るに(いん)(かぎ)る。侄襄釈大含(かてつのぼるうしゃくだいがん)(あず)かる(この)(よる)(あめ)  

;① 日野資愛(ひのすけなる)皆川淇(みながわき)(えん)儒学を学び、詩文・和歌・典故に通じた

     426日の宴に山陽,雲華同行した日野家は山城の国出身、宇治

                   を本居とする。一族に親鸞、日野富子等

清聴四擱(せいちょうしおん)(きん)(ちく)(こえ)宮門(きゅうもん)()()(ひと)行く(いく)(まれ)なり。(だれ)(しら)()(わす)れて寒士(かんし)()き。華燭(かしょくた)(がん⓶)相映(あいうつ)して(めい)なるを】

  註⓶酔いて面色の赤くなること

豈料(あにはから)んや華堂(かどう)葛巾(かっきん③)()れんとは。温々(おんおん)として()(たま)一團(いちだん)(はる)簪纓(しんえい④)林立(りんりつ)方今(ほうこん)(せい)()(この)むこと(こう)(ごと)きは更に(さらに)幾人(いくにんぞ)

後首(こうしゅ)相公尊押(しょうこうそんおう)()(つつし)みて(ほう)(てい)す         惟柔

 註:③賤者をい ④公卿のこと

(おい)(たすけ)天街(てんがい)()(こう)(こころ)む。御溝クワク(くわく)氵寽(氵と)()(かく)として流聲(りゅうせい)(ちょう)ず。(だれ)二阮(にげん)呼び()(きたり)同じく(おなじく)()ふ。酔眼迷離(すいがんめいり)として銀燭(ぎんしょく)(あき)らかなり】

 註⑤水流の聲

席間(せきかん)家叔(かしゅく)画菊走筆戯(がきくそうひつぎ)()

 

(さん)(じゅん)(あし)(とど)阿咸(あかん)の家。五斗(ごと⑥)(こうべ)(めぐら)せば(きょ)(みち)(はるかなり)東籬(とうり)秋色(しゅうしょく)好き()()ず。(ひるがえり)(すい)(ぼく)(もっ)黄花(おうか)(うつ)す】                襄(ねん)(ち⑦)

 註⑥陶淵明が俸禄を五斗米と言いしより官職を五斗といえり ⑦熟知

相公 人を()謔浪(ぎゃくろう⑧)故に(ゆえに)此地(このち)(いた)

 註⑧たわむれふざけること

(かてつ)山水(さんすい)(えが)(しょう)(こう)(だい)するを(めい)酒間(しゅかん)(そつ⑨)()

 註⑨即興

断崖層嶂(だんがいそうしょう⑩)青天(せいてん)挿む(はさむ)(うち)龍奔百(りゅうほんひゃく)(どう)(いずみ)()り。雲樹(うんじゅ)茫々(ぼうぼう)として(ひと)()えず.(せい)(ちょう)(いずれ)(ところ)にか遺賢(いけん)(き⑪)ん】

 註⑩みね⑪聖天子の御代だから山野に用い漏れたる賢人はおらぬ此山中 

  にも人影がないの意

  

2018・9・23

京都の宴


 

伯表(はくひょう①)磁印二顆(じいんにか)(けい)木米磁盞(もくべいじさん)二枚を(けい)(とも)()製す(せいす)(そう)古愛(こあい)すべし()にして(しゃ)

(せい)()磁印(じいん)(へき)(でい)(はい)名手(めいしゅ)一時(いちじ)(われ)(とう)ず。(たと)我千古百(われせんこひゃく)(ふく)を労しむるも。(なんじ)(ぞう)二三枚に(むく)(がた)し】

伯表名(はくひょうな)(けん)詩画(しが)風流(ふうりゅう)世に東寺の北面を為せり 木米は陶工尤も一世に(とうと)ばる。且つ画を善くす(けだ)し其の人 (ぼん)ならず故に作るところ(みな)超絶(ちょうぜつ)す。

註:①田辺 玄々1796安政512月1818591月21は、書家篆刻家。東寺外山吹町の富裕な家に生まれる東寺に候人として仕え、のちに法眼位に叙されている。

(いつし)支碧(しへき)()かつ(かも)(かわ)(わん)(なます)()(あつもの①)を呼ぶ(かん)(かん)の間。芳脆(ほうぜい)忘れ難し人世の味。未だ(いまだ)決起(けっき)して深山(しんざん)(じゅう)する(あた)わず】

   註①吸い物

柏葉亭(はくようてい)にて魚を母及び(しゅく)(おう)(きょう)す。又(しょう)(ひつ)(むか)えて(きょう)(かい)す。其の(いん)()して戯れ(たわむれ)(つく)(わらい)()す。

時に余()(きょ)(こころざし)有りて未だ決せざる也。         (さん)

()前渠箭(ぜんきょせん⓶)(ごと)く湾を成さず。水近くして聲無く(かえ)って自ら(おのずか)(かん)なり。(すずき)膾盤(なますばん)()(じゅん③)また美なり。遠客(えんきゃく)をして家山(かざん)(おも)はしめず】                               杏坪聾叟(ろうそう)

 

           註:張翰が故郷の呉の(すずき)(なます)(じゅん)(あつもの)を思うて官を棄てて帰ったことを転用せり

    ⓶掘割が竹のすだれのように細い流れ

    ③じゅんさい

其の明、東岸の水門亭において飲む承弼(やく)(たが)(こう)(くだ)(じょう)(いん)二首

【第三橋は()す水の湾。橋畔(きょうはん)輪蹄(りんてい④)(しばらく)も閑ならず。好事(こうじ⑤)(しゅ)家門(かもん)(ちまた)深し。緑陰黄鳥即ち深山】           

  :④車馬

    ⑤よろこばしいこと

()(きゃく)(ぎん)(ほう)(そむ)くに(きゃく)す山に背。蘇端(そたん⑥)(なん)()は閑を同じゅうせざる。知る座して(ほう)(そう)の底に(こつ⑦)。湿を忍んで今過ぎん苐幾(ていいく)(わん)】酔襄                             

【水門亭は在り(すい)(よう)の湾。(はんほう)誰か(しら)ん屋後の(かん)。竹門排石(たい)()満つ。(はなはだ)だ勝る幾層の假山(かざん)】            惟柔

 

 鴨河の琵琶湖疎水水門 ネットより
 鴨河の琵琶湖疎水水門 ネットより

註: ⑥人物名、水滸伝

     ⑦高くそびえている

 

又小竹の韻に和す

              水門亭杯酒の間此れを作す木米

 

 


2018・9・16

滋賀Ⅱ


四月既望。子成の水西亭を過ぎ即時(そくじ①)二首を賦す。

主人(しゅじん)何れ(いずれ)(ところ)にか去る。且つ(かつ)()して書帷(しょい⓶)捲く(まく)(りょく)水新漲(すいしんちょう②)(あわ④)れみ青山も(また)旧知(きゅうち)(りょう)(いん)仮寝(かりね)するに(よろ)し。多景(たけい)()()さず。忽ち(たちまち)(よろこ)ぶ君の帰り到(かえりいたる)を。()疑う(うたがう)(つる)(ほう)じ来たるかと。】

水亭(すいてい)(ひと)(とも)()ふ。(こん)(こく)(おう)(かえ)るに()(かさ)ねて(ざん)(そん⑥)(たお)し同じく

短句(たんく)()(ひょう)す。暮山暗(ぼざんあん)(りょく)浮かべ(うかべ)明月清(めいげつせいい⑤)()く。(この)(きょう)まさに(さい)(かた)かるべし。言う()()めよ更に(さら)(うつ)ると】     (ひつ⑦)

 

十八日朝 杏坪先生の客舎(きゃくしゃ)()ひ奉ずる

暁霧空濛(ぎょうむくうもう)(みず)両湾(りょうわん)長橋(ちょうきょう)(やなぎ)(へだ)てて履聲(りせい)(かん)なり。飯罷(めしをおわりて)(りょ)(そう)(いち)()に無し 君を尋ねて来たり看る() 雨中の山】

(うつす)湖山(こざん)(ぎょう)晴図(せいず)

 

 奉送(おくりたてまつる)

 

(きょう)(へい)先生(せんせい)西帰(せいき)

 

 (ちく)(どう)山人(さんじん)(せい)(しょう⑧)

 

:① 即興

② 書斎 ③新たにできる ④しみじみ感じる

 ⑤さざ波⑥残った酒。尊は樽に同じ。酒壺のこと ⑦篠崎 小

    竹(時年43歳) ⑧中林竹洞(時年53歳)

 

 

2018・9・9 

滋賀Ⅰ

 舞台障子上の大虹梁「竜虎」  膳所の奥村菅次父子の作
 舞台障子上の大虹梁「竜虎」  膳所の奥村菅次父子の作
 近江大橋 
 近江大橋 
 長浜名物サバそうめん
 長浜名物サバそうめん

写真上

晴好雨竒(せいこううき)亭址・膳所の名金工師 初代奥村管次(すがじ)居。頼山陽が来遊し、「晴好雨竒亭額」を揮毫して与えた。


 

()(でん)麦秀(むぎひい)()()()なり(たまたま)旧都(きゅうと)()いて楽浪(らくろう①)()ぐ、(あに)()らんや(しゅう)(こう)帝位(ていい)(のぼ)るを()(ざん) (なん)(ところ)にか(せい)(おう)(とむら)わん】

  註:周公は叔父をもって成王を助けて天子たらしめたり。今

    天武天皇は叔父をもって弘文天皇を(はい)せられたるを(たん)ぜり

天下(てんか)無双(むそう)(いち)老松(ろうしょう)太湖低飲(たいこていいん)百頭(ひゃくとう)(りゅう)霊有り(れいあ)(ごと)皇統(こうとう)

(おお)はしめば正宗(せいしゅう)を廃せず滋賀(しが)(みや②)】        辛崎の松下作

  1. 滋賀

  2. 近江大津宮(おうみおおつのみや)は、飛鳥時代天智天皇近江国滋賀郡に営んだ都。天智天皇6年に飛鳥から近江に遷都した天智天皇はこの宮で正式に即位した。天皇崩後に朝廷の首班となった大友皇子(弘文天皇)は壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)

    に敗れたため、5年余りで廃都となった

     

    膳所,城の東(おく)(むら)(かん)(じ③)の湖亭に投宿す此れを賦して謝と為す。

       註③金工芸家写真参考

    十八年前湖上の秋。(すい)題留め(だいとどめ)去る(さる)百宜楼(ひゃくぎろう)(ろう) 石場(いしば)有り(あり)(へん③)余書(よしょ)する所  註④札

    百宜(ひゃくぎ)()かず(ここ)(てい)()きに況や(いわんや)(また)団欒(だんらん)して月下(げっか)遊ぶ(あそぶ)おや (てつ)(のぼる)(はは)奉じ(ほうじ)(いえ)(たずさえ)(したが)

    澗流決々(かんりゅうけつけつ)として鳥聲低し。(さん)翠人(すいにん)迎え(むかえ)(いく)曲斎(きょくさい)し。似ず(にず)逢関々(ほうかんかん)()(みち)

    牛を避けて新泥(しんでい)()むに(はは)奉じて(ほうじて)閑遊(かんゆう)尽く(ことごとく)(いえ)をたずさう。後先(あとさき)奴婢(ぬひ)(わら)うこと唖々(ああ)たり。穉孫(ちそん⑤)(おなじく)(さい)(らん)輿()(うち)(おもて)(あらわ)わして輿()(そう)阿爺(あじい)()(ろう)(らん)輿()()(しょう)(つえ)()む。(ばん)(こん)酒を伝えて共に従容(しょうよう)幾人(いくにん)(この)団欒(だんらん)楽しみ(たのしみ)()たる。吾杯(われはい)()めて(いち)(しょう)()わんと(ほっす)す】

     

    長橋(ちょうきょう)断続(だんぞく)して遠帆(えんほ)(えい)(おも)(かって)(けん)負う(おう)征衫(せいせん⑥)を試みしを。(そう)(がん)(おなじく)(ふむ)雙蚣(そうこう⑦)(えい)。三十年前の旧阿咸(きゅうあかん)】   襄

     註 ⑤おさないまご

       ⑥旅衣

       ⑦むかで

 

 詩仙堂
 詩仙堂

卯月(うつき)一日によめる

更す(さらず)とも(われ)にはゆるす替え衣(かえごろも) よし()初瀬(はつせ)(はな)染め(ぞめ)(そで)

 

同じ日大堀(おおほり)正輔(しょうすけ)小石(こいし)(りゅう)など(とい)(きたり)ければ

とこしえに(はる)なる(ひと)とまといして (なつ)ともけふ(今日)(おぼ)えざりけり

2018・9・3 京都

 

(しゅん)(よう)()しみて

のこりなく(みやこ)(はな)()()てても (なお)おしまるる(はる)()れかな

(いえ)にありてなれつつ惜しき(おしき)(はる)けふ(今日) (はな)(みやこ)(わか)れぬるかな

狩野探幽筆「石川丈山」詩仙堂蔵
狩野探幽筆「石川丈山」詩仙堂蔵

風流儒(ふうりゅうじゅ)()(また)先登(せんと①)八萬(はちまん)親兵(しんぺい)(きみ)独り(ひとり)能くす(よくす)名節(めいせつ)(だれ)知らん(しらん)()(きょう)(たす)くるを。一堂(いちどう)風月残(ふうげつざん)(そう)託す(たくす)】    詩仙堂(しせんどう②) 千祺(せんき)氏印(しいん)              

註①軍中にて玉造門(たまつくりもん)先登(せんと)(ぶん)()にも先登(せんと)せるは直参(じきさん)旗本(はたもと)石川(いしかわ)丈山(じょうざん)あるのみ

  名誉と節操は知らぬ間に世を教化した

②江戸時代初期の文人石川丈山の山荘跡 

 

つるぎ刀身(たち)身をもぬけたる石川や (せみ)のおがわにかげもうつさず

志賀越(しがこ)えにて

()ちすぎてつつじにさえも止めらるる 桜にいかに志賀(しが)山越え(やまごえ)

 

(おや)()老い(おい)(なみ)(よる)志賀(しが)(やま) 三度越え(みたびこえ)ける(こと)嬉しき(うれし)

 

おやも子もの歌

 

(のぼる)()(うた)を香川長門(ながと)(すけ)景樹(かげき))に(しょう)じて(せい)()ふ、(すけ)(いわ)く志賀の山以下は天然の語勢

 

(きの)貫之(つらゆき),(壬生(みぶ)()(つね)これを()しむるも一字(いちじ)揺動(ようどう)する能わず(あたわず)、以上の二句は歌詞を成さず

 

為に(ために)改めてたらちねの(はは)打ちつれ(うちつれ)と、曰く(いわく)、則ち(しょう)ずべし。原作の如き(ごとき)(これ)田舎漢(でんしゃかん)の母子並びに(めん)()なる者傴僂(くぐせ)にして相挈(あいたずさえ)(しゅうなる)べし、(あらた)むれば則ち(すなわち)(ばいし)夫人(ふじん)なり頼子(らいし)(せい)なりと(すけ)談論風(だんろんかぜ)(しょう)じ、人々(こころ)(えん③)あらば毎に(つね)()(たぐい)なり   子成

 

          註:③(えん)(しん)は満足する事

 

たらちねの母と打ちつれ志賀(しが)(やま) 三度越え(さんどこえ)ける事ぞうれしき

 

                  香川長門介  直し

写真=志賀峠(比叡山ドライブウェイの下) ネットより

 

 

 

 

 

 


(おもむ)く。同じく(ほう)()(むか)えて恩光を帯ぶ(びょう)()()からず賊再起し。一敗して(かえ)らず湊川の水。麦田(ぼくでん)茫々(ぼうぼう)として(いずれ)(ところ)か尋ねん。楠公の墓畔一忠思。】

2018・8・20

奈良京都Ⅱ

 

湊川を過ぎ石井七郎の事を(おも)い此れを作る

七郎名は(すえ)(ただ)。今安芸の故国府田所(たどころ)()の族祖なり。家に勅書二通を蔵す。

【備後三郎は世に称揚す。誰か知らん安芸に七郎有るを みことのり)を奉じ兵を()げ船上に

 神戸湊川神社
 神戸湊川神社

 

田所家譜に云う。季忠楠木正成と同じく湊川に戦死す。墓川側にあり今所在を失う。此の詩(まさ)に浪華篠(田)(しょうひつ)の上に列す。

(るい)を以ってここに追録す。              柔

 知恩院の桜
 知恩院の桜

花を見て居りけるに(もん)さし()ければ 註③門を閉ざす

「暮れぬとも宿りすべきを門さすは おそのみやひの遅さくらもり「芳野よく見てかえりしがさすがまだ 都がはなもくやしかりけり」 

【一瞬(しょう)(か①)(すで)(ちり)()る。千秋寂寞(せきばく)として遊人少なし。知恩(ひとり)晩歌の()き有り。満院の香風(らん)(び⓶)の春。】註①美しい華⓶最後

平野神社の桜
平野神社の桜

平野の夜桜をみて「あじさひの花にはあらでよひらのに 桜みあかず月もあらなくに」

【東山西峡紅軍(さん)じ。平野猶張る幾隊の雲。知る是れ三春百花の殿。萬燈(かか)げ尽くして(とう)(くん④)を送る。】花枝画燈の(もと)酔後に此れを()

 

   三月二十八日    頼惟柔  註④春

 

 

2018・8・13

奈良から京都Ⅰ

 『護良親王出陣図』Wikipediaより
 『護良親王出陣図』Wikipediaより

南都の般若寺を過ぎ大塔(だいとう)親王(しんのう①)の事を感じて三首を作る

【丹青剥落して(ぼう)(だい⓶)存す。猶(おも)ふ延秋賊を避て(はし)るを。(仏の経典)()るまさに雲五色を為して肉眼を眩迷(げんめい)して龍孫(りゅうそん③)(たす)けんとなすべし。】

 

  1. 護良(もりよし)親王(しんのう) 延慶元年(1308年) - 建武2723日(1335812日)は、鎌倉時代後期から建武の新政期の人物。後醍醐天皇の皇子大塔宮(だいとうのみや)と呼ばれた。。。足利尊氏と対立し、鎌倉に長期幽閉された末に殺害された。

  2. 立て札

  3. 皇子を言う

    (たい)(じつ④)重ねて()元帥(げんすい)(はた)(いかでか)(しか)ん。

    (かい)(きん⑤)萋菲(せいひ)(お⑥)るに當時畢竟乾坤(せま)し。土窟経函(どくつきょうかん)是非(ぜひ)(な⑦)し。】

  4. 皇運傾く

  5. 貝の如く模様の美しき錦

  6. 錦の人の目を眩ます如く言葉を美しく飾り立てて、人を陥れる萋斐貝錦

  7. 当時の天地既にせまくして皇子の御身をいれぬのだから土窟も経函も善し悪しはない

 

地窖雲(ちゆうくもなまぐさ)く日明を(おお)う。刀を賊手に付して()(じょう⑧)()る。来るも六十餘州の(くろがね)収め(おさめ)大錯斯(だいさくかく⑨)(ごと)きは打ち成さず。】  襄未定稿

  1. 皇子を言う

  2. 全国の鉄の集めてもこのようになる大錯(だいさく)は打つことは出来ぬ(さく)(とう)といい金を塗りたる刀形の銭あり其の字を仮て錯誤(さくご)喩え(たとえ)て間違いをしたるという

 

般若寺は飛鳥時代に創建され天平のころ平城京の鬼門を鎮護する寺となる。以来、般若経の学問寺として栄える  

      般若寺ホームページより

三輪にて

手向けには何をしるしになさましや むなしく過ぎるみわの神杉

春日は花のこらずちりたり

春日野にもゆる若草はむ鹿のはなをもともにあきになりけり

おおかたの桜は散りて花かずに馬酔木(吹)けり春日野のもり

猿沢の池のほとりにやどりともに風あらく吹きければ

聞くもうし花おもひねの旅枕 風波さわぐ猿沢のいけ  柔

井手の玉川  京都府観光協会より
井手の玉川  京都府観光協会より

2018・8・5 

初瀬、奈良

 

南都の般若寺を過ぎ大塔親王の事に感じて三首作る。

初瀬にまいりけるに遅ざくら盛りなりければ    柔

いざさらば人よこもらんこもりくの 初瀬のさくらいまさかりなり

三輪山「三輪の神杉」として神聖視され、後世に三輪山の杉葉で造られた杉玉が酒造りのシンボルとして酒屋の軒先に飾られるようになりました

 

正輔ぬしが山吹一枝短冊につけて

またもきて見らんことは玉川の岸の山吹折て遊ばねとありければ  惟柔

 


折まくもたまたま君と来てぞ見る井手の玉川山吹のころ

泉川いつかまた来てみかのはらよせてかえらぬしがのしらなみ

いまの木津川はいずみ川なりち聞きてかくなんよみける

宇治の萬碧楼にやとる風あらく吹きけり

 

日を経つつ(なお)み吉野の花の夢 うちさましけりうじのかわなみ

よを宇治とひとはいへども来るたびに 心やらるる川のおもかな   梅颸

 

 

2018・7・29 旅の行程表

 

文政10年1827 杏坪72梅颸68山陽48支峰5三樹3梨影31達堂13

これからと旅の終わりまでの行程表です。頼家の皆様の健脚、元気さに驚きます 年譜参考資料 「梅颸:第三回京遊日記」

 

2.19

 

途中略

 

3.22

3.23

3.26

3.27

3.28

3.29

3.30

 

4.11

4.13

4.18

4.19

4.24

4.29

 

5.1

5.3

5.5

5.7

5.8

5.10

5.1618

5.1921

 

 

 

 

午後10時乗船 達堂(三千三)杏坪.立斎  梅颸

手島三五 僕久蔵太蔵

 

 

多武峰を経て初瀬もうで

奈良遊覧

知恩院の花見

大槻磐渓を迎え水西荘に開宴

平野の花見

再び知恩院の花見

賀茂に遊ぶ

 

石山次いで三井寺順拝

賀茂御影祭り見物

三条柏葉亭晩餐会

東寺田邉氏に招かれ三条みなとやにて会飲

銀閣安楽寺遊覧

高雄

 

嵐山

清輝楼に留別宴

上賀茂競馬見物

砂川

京都立つ

有馬着

茶山宅

竹原

帰宅午後4時頃

 

 

 

 

 

 

 

 

詩の意は天智天皇と鎌足とは君臣心を同して入鹿を誅せらるたるを今此多武峰には金碧の輝ける社殿があるが、近江の天智陵は知る人もないと慨嘆しのである。

 

【四合の岡巒(こうらん)煙霧(じょう)す。輝煌(きこう)たる碧廟廊層(へきびょうろうかさな)る。風雲一體(ふううんいちたい)君臣(くんしん)(わざ)。誰か(そらん)ぜん。天智(てんち)(りょう)】①

  淡海   草莽臣襄

2018・7・24

芳野花見Ⅱ 多武峰(とうのみね)

芳野花見Ⅱ 多武(とうのみね)

画賛

【芳野山の意。(こころみ)に旅館の燈底に写す。酔眼眵昏(すいがんしこん)倍憤々(ますますかいかい)たるを覚る也。然れば芳埜河を渡り山に入る時.煙雨空朦(えんうくうもう)として見る所(かく)の如し.唯余が筆墨の浄からざることのみならずなり】

          襄          

多武峰にある鎌足を祭る談山神社(たんざん じんじゃ)


京都市山科区御陵(みささぎ)京都で一番古い天皇陵である「天智天皇陵」

      写真はいずれもネットより

うち手折(たお)るたむ山霧わけ入りて 見ればみがけるみたま殿かな 

       惟柔

【芳川北に(わた)って羊腸を歴す。多武の峰東千仭の岡。背指(はいし)(あに)(はか)らんや(こう)()(きわ)。分明に高閣(こうかく)蔵王(ざおう)(みと)む】 

芳野の帰路其の山上にて此れを作る。   惟柔

春風の吹きたむみねが山さくら ときも遅きもさかりなりけり

 


   見延典子
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