「十旬花月帖」(頼杏坪著)全文を読みます。広島から京都への旅です。
石村良子代表が執筆しています。
2018・11・19
児舜燾謹跋す
児舜燾謹跋す
註①頼杏坪長男佐一郎、号采真
此、家大人今茲に北上す往来に獲る所を自作の詩歌に及び諸先生名流韻士の贈る所の詩画、以って吾が家の宝襲と為す、
冀うは、子孫を為すもの謹みて散佚する勿、大人の此行百日の告を賜うを以って座湯行薬す、其の間花を尋ね月に弄して亦恩遇の及ぶ所、家に帰り詩を賦して曰く、十旬花月君恩と、遂に其の四字を以って帖名と為す。蓋亦以って示す所君恩を忘れず也と
丁亥挽夏 児舜燾謹跋す
当考帖中法賢筆画付記此れに誌す
茶山八十 杏坪七十二 梅颸六十八 山陽四十八
木米六十一 竹洞五十三 竹田五十一 春琴五十
海屋五十一 景樹五十八 小竹四十七 百谷四十四
2018・11・12
今津の牡丹
今津駅を過ぎ再び牡丹園に憩う
註①今津本陣邸内にあった牡丹園は
有名で菅茶山や頼山陽などによって
美しさが漢詩によって詠じられ牡丹
の本陣とも称されたというこです。
【往日牡丹猶未だ発かず還る時花落て方に實を成す、多情去らんと欲す吾を呼ぶに似たり、新竹叢間に泥滑々】
竹原に亡兄春風の旧棲留春居を訪ね 然作有
【留春永く護る百年の身、花堕ち一朝俄かに人を奪う。独徳容の消し得ざる有り。和風独座す一團の春】
註:家にに朱光庭が程明道に見えて、人に語っていわく春風の中に在って座了する一月と此詩これに本ずく
家に帰るのち此れを賦す
【老耄何ぞ必ずしも斯の身を愛せん。告を賜て幸いに探る幾内の春。痾を養う唯靈液に座す、十旬の花月も亦君恩】丁亥夏五下澣
惟柔
註①毎月の20日以後
2018・11・6
伊丹剣菱
浪速より有馬のしおゆにおもむく道にて伊丹という里にやどりけるここはよき酒を造る家のおほかりける、剣菱てふさけはことさら儼にして
上なき品なりと聞こゆるをそのあるじが手ずから酌してのませければよみて贈りける
なずけけん ひじりの酒の すみぬるは 人の心の
さびおとせとや
有馬のしおゆあみするほどに身の稍かろくなるを覚えて
旅衣 はるばるきぬる 身をしるや しるしもはやく 有馬湯の神
しおのいとまに、名所をみめくる鼓のたきを尋ねて
音にきく つずみのたきの 有馬山 ありとしりつつ
打すぎめやは
有馬ちかく成りて二里ばかり石原の中に、山水のながれ處々有りて、かろうじていきつきたり
行がたき 道にありとも 有馬山 老いもわかゆと
きかばあいてん
襄がこの所までつきそひぬれど
おくりても やがてわかれの 憂きふしは 猶も有馬の
いなの笹原
立ちかえらんとする時
別るとも 鼓がたきの つずみなく ともにありまと
思うばかりぞ
梅颸
2018・10・28
杏先生を送る
丁亥夏五初八日。初めて杏坪先生に謁するの時、先生将に帰る、頼子成柏葉亭にて餞筵を設く。因て同く此を作りて以って行くを送る。
【老緑漸く新緑を攙するの時。雨餘は沙澨に水痕移る。君に逢いて偕に喜び還偕に憾む。交情を写さず別離を写す】
註①水際
【半酔半醒分かちて携うるに一情を用ふ。遂に展ぶる能わず、信に痴拙を致すと。殊に慚ずべきなり】 苞拝題 註:貫名海屋
韻を次し賦して謝す
【豈料んや逢う時は便ち別るる。時に悲嘆逢別霎時に移る.柏亭一酔す頭を扶らる酒は何の日か相逢て別離を慰めん】 柔
註⓶少時
2018・10・21
杏坪先生帰国
前韻を畳し杏坪先生の国に帰るを送り奉る
【通家愛を垂れ忘年を辱けなくす。幾度か飲に陪して狂顛を容す。十旬の逢迎一瞬の如く。岐に臨んでいかんともし難し共に黯然。鞋韈相送て巷口を出ず。重ねて欲す同く伊丹の酒に酔う。酔臥夢中尚同じく遊ぶ。直に播薇を過ぎて芸州に入らん。】篠崎弼(小竹)
註①幾世も交流する間柄
②年を論ぜず若年と交際する
③播磨と備前
【百日身を抽て帝都に入るに遊蹤倐忽居緒過ぐ。山を看、水を尋ね公事の如し。一擔の詩嚢は是れ簿書。】
浄輝楼集杏坪先生に別れ奉る。 紀選(浦上春琴)
註④月日がたつこと
⑤詩嚢が公用書類だとの意
【聾丞偶に入る百花の都。一日の春遊忽諸にすべけんや。いかんともする無し衰躬、別れに臨むの句。将って暗涙に和し勉めて書するを為す。】
韻を次し諸彦に留別し辱交懇に至を謝す 柔
註⑥おとろえた我が身
⑦すばらしいひと
韻を次し小竹兄に留別す
【暫く放翁の蜀にある年に似たり。碧渓坊裡に花顛と喚ぶ。花落ちて又逢う国に帰るの日。昨日の狂態今は酸然。已に羞ず蕪辞の濫りに口より発するに。復た恨む貪膓丹酒に別るるを。最も良友の再遊しがたきが為に、未だ摂州を出でず。】 惟柔
註⑧宋の陸游放翁と号す自ら花顛と呼ぶ顛は狂する事
⑨乱雑で整っていない言葉
梅颸日記 京遊記
5月3日 今日留別、いばらぎやにてある筈也。来る人
小石、春琴,大倉夫婦、大含、竹洞、三本樹夫婦、此の方
(杏坪、達堂)、三人。入用1両,ろうそく代3匁、舞子
は小石
出銀 *1両約7万円3匁約3500円
5月5日 季鷹を訪れ(十旬花月帖)書をもらい帰る。大含、小石、
春琴、笠山、善助(牧百峰)同伴
*賀茂季鷹 - 江戸後期の国学者。京都生。姓は山本
2018・10・15
襄僑居 三本木
襄僑居 三本木
余三月上澣京に入りて家侄襄僑居に寄宿す。々は三本木に在り近く鴨川に望み水を隔てて東山の諸勝に望む如意嶽に正面す而して比叡も亦甚だしくは遠からず。襄の植える所の楊柳数株扶疎陰を敷く
一株絮多し花卉も亦尠弗す。交錯して各発く。別に小亭を置き切して水湄あり最も景を撫するに宜し。客来たれば則簾を捲き欄に凭り酒茶談論し毎に娯楽を極む。然れども而多くは出遊して寓に在らず故に詩を得る多からず今将に辞し帰らんとす。聊か其の得るところを小詩数首を録して去る。 杏坪
【数樹の垂楊草檐を覆う東山水を隔てて円尖を列す。幽窓打着す閒唫の士。害せず鄰楼阿鵲の塩】
註:歌曲の名、塩は歌詞に付する語吟、行く、などの如きもの
【愛す汝従容として我閒に伴う瞋ず硯に入りて毫端に着くを。晩来何ぞ狂風の意に任せ。直に青楼に向かいて幾団を送る】
柳絮を詠ず
【紅銷紫歇て緑陰を成す。一種の芳情我心を慰む看取す東皇餘貨在り。墻偶擲ち去る小円金】 棣棠を咏む ヤマブキ
註 ① 家の正面の如意岳は 支峰(西峰)として標高465.4メートルの大文字山(だいもんじやま)がある
三本木と三樹三郎
転居したこの土地が気に入っていた模様
2018・10・9
鋭意、作成中
連載中の「十旬花月帖」の出版に向け、古文書研究会のOさんを中心に、鋭意、作成中です。
来年4月に予定している頼山陽ネットワーク10周年でお披露目できれば、と思っています。
2018・10・7
銀閣寺を訪ね知恩院を追録す
【瘈狗狂猿各雄を競う。蕉邊に鹿を失て夢終に空し。銀光褪尽す将軍の閣。大樹粛々として晩風生ず】 襄
註;① 狂犬
② 生の麻
③ 八代将軍の足利義政
【仏前の香シャ(火也)一缾の花。云ふ是れ将軍老を投ずる家と。満閣の泥銀蟲舔尽し。空の山月を餘して庭沙を照らす】 杏翁
註④ 残り火
⑤白川の白砂を波形に盛り上げた銀沙灘と円錐型の向月台
右二首銀閣に同遊して 閣前沙を聚め壇を作す呼て曰く迎月台と
【竹樹陰々として緑墻を蔽う詩僊堂は古くて斜陽に鎖す】 襄
【先生の書画今猶在り。留め得たり風流千古の香】 阿千拝
右詩仙堂の聯句を追録す 阿千時年十三
高雄山の新樹を見て正輔がよみける 別に短尺あり
もみじばのこがるる秋の血潮より 涼しきいつか夏にこそあれ
同じ意を
おもひやる秋のもみじのそれよりも こころ高雄の青かえでかな 惟柔
高雄山の新緑を見にまかりて
錦為す袖こそあらめ高雄山 吾がかえるてにひかれ来にけり 梅颸
廣澤のほとりにやすらいて
さざ波のうえも曇らで大空の 雲影うかぶ廣澤の池
賀茂の駒くらべをみてよめる おのれ安芸の国賀茂郡の人なり ただなご
むかしは神領にて馬をも 出せしと言い伝えければ
こまをさえ貢ぎし国の民なれば さらにも今日にあうぞ嬉しき
このうたは季鷹が求めに因りて書きて贈る
【叔毎に忙を甘し姪は閒を愧ず。相迎えて計の無し慈顔を解くに十旬足を濡す鶯花の海。廿歳頭を埋む案牘の山、勝を尋ぬる当に謀るべし晴雨の外。情を話する時に酔醒の間、紅残って又及ぶ耕を催すの節。西顧君を愁う俄かに帰らんと欲するを】慈政
襄再拝請
註⑥ 三千三、号達堂 阿は人を呼ぶ語に冠して親しみを表す
梅颸日記の京遊記では達堂の事をまず気にかけている様子
⑦公文書をいう