2019・5・25

石村良子代表

頼梅颸の游洛記

「船より眺め伏見に上陸」

 

「游洛記」は安永10年(1780)5月、新婚の梅颸(21歳)が舅の翁と夫の春水と京都に旅した日記。

北斎画 三十石船 よどの城
北斎画 三十石船 よどの城

 

こゝにて、よあけ、()((むしろ))()しあげ(し上げ)見れば、岸のあなたの、野山の、わか葉の()しき() いわん(言わん)たなく いとゝめず()らかなり それより、八幡(やわた)、山ざき、(行く)かた()の山ゝのながめ(眺め)、又なくぞ(おぼ)侍る(はべる)よど()の城はしの()しき()もめ(も珍)ずらし(らし)

 

 (この)ごろは 初音(はつね)()かむほととぎす よどの(淀の)わたり(渡り)の 

雨のなごり(名残)

 

ほどなく、ふしみ(伏見)()いたり(到り) 竹田とかやいふ道をゆく ()()は 輿こしもたらしければめして(召して) わらわら した()がいて ゆく()

 

雨そぼふりて 道いたくあし(悪し)ければ とかくあゆみ(歩み難く)かたく 人におく()れぬるを ()うく(憂く) おぼし(覚し)てや わらず(草鞋)てふもの はかせぬるに あゆみやすく(歩み易く)なりて ()こし()へにかわら()じ すがた(姿)のおかし

 

註: 上り船 大阪には4つの船着き場(八軒家・淀屋橋・東横堀・道頓堀)があり上り船は棹をさして上る所もありましたが、十一里余(約45㌔)を殆ど綱を引いて上ったことと思われます 

 

2019・5・17

石村良子代表

「頼杏坪の後藤松陰宛書状」原文

 

巻物に収録されている頼杏坪の後藤松陰宛書状です。原文から。


別帋蚊之拙詩ハ只

状かさミ為ニ差入申候御覆

醤可被下候

又致拝啓候愚老詩

集本集之第一巻

附箋ニ而評語有之候

誰ニ而御座候ヤ棕隠共ニ 中島棕隠 17791855江戸時代後期の儒者,漢詩人

御座候ヤ手跡見覚へ不申

即別帋数行扁支

取候而此度懸御目申候

定而老兄ニハ御存之人ニ而

可有御座候折角少々ニ而も

評語被成下候ものを御棄置候

而者先方へ對し無礼と

存候是又甚御煩労

申上か年候得共詩抄

御點検それ〱御題

被下候為本懐奉存候

本書者昨日出し申候此書ハ

右一件可得貴意及

追啓候もしそれニ及

不申ものニも御座候ヤ御無用ニ

可被成下.候草々不備

卯月十日 杏坪

      柔

世張詞契

 

 平かた くらわんか船と三十石船
 平かた くらわんか船と三十石船

2019・5・4

石村良子代表

游洛記「淀川を上る」

 

八日の(ゆう)つかた、船をいだし、江にさかのぼりゆく、(きし)()だちのながめも、めずらかなり。(よる)()りて月いとしろく、すみわたれるけしき、えならず。


夜半(よわ)ばかり 雨しきりにふり 風すさびければ ふねかゝる。(ふろ)やうのもの よう(用意)いしたれば さけ()などあたため(まい)らせつ。

所は 平かたにてぞ有ける、いひ() さけなとうるふねとも、たがひに

そう()がはしく のゝしりたるも,所からおかし。ある(春水)じかくなむ

 半夜(はんや)(こう)(ぎょう)興可(きょうか)(すべし)  携妻扶(つまをたずさえ)老向(ろうをたすけきょうか)(にむか)()

 

 (ほう)(そう)雨滴不蕭(うてきしょうせき)(ならず)   百里離家如(ひゃくりりいえをはなれ)在家(いえにあるがごとし)

 

わらわ()()のこころを

  かぢまくら とまもる雨の わびしさも まぎるるばかり

  むつがたりして

 

2019・4・27

游洛記「亨翁と杏坪の上坂」

 

去年(こぞ)の冬,()もの()のおしへをうけて、(らい)(うじ)の家にかへる良人(あるじ)父君(ちちぎみ)千里(せんり)青海(あおうみ)をへだてゝあきの國にいましける。かゝるはるけき さかひなれば おがみ(たてまつ)ることのかたく まゐてつかえたてまつるは、いふもさらなり。

明け暮(あけく)れに、是のみ わび()思いしに、はからずもことし卯月(うづき)はじめの三日 良人(あるじ)(おとうと)(ぎみ)()してのぼ

 

 浪花 八軒屋船着き場
 浪花 八軒屋船着き場
 頼春水塾「青山社」のあった  大阪江戸堀
 頼春水塾「青山社」のあった  大阪江戸堀

らせたまひ はじめて(おん)おもて(おが)みまいらせ、()りがたくうれしさたぐふ(違う)べきかたなし いつしか なれむつびまいらせ ひねもす(おん)かたわらに(はべ)るに、道すがら(みちすがら)(おん)うた あるは人よりこせし、おもしろ(面白き)ふみ()ども、くりひろげ、みせしめたまふもうれし。

ほどなく(きょう)へも のぼりたまわんとて、わらは二人したがひ(たてまつ)りて、みちみちのみやづかへにはべりぬ。

 


 

58日 亨翁と春水夫婦は京游に出発する 杏坪は留守番(小原千秋編『頼家110年の軌跡』より)

その紀行文が「游洛記」である、頼山陽全書に収録されている「游洛記」「梅颸」の文字は 春風館版表紙には無く、内容も随分違う。 帙に入り昭和17年照子内親王御内覧の書き込みが有ると云ふ。

梅颸の号は後年からであるので まとめられた月日も実際は分からない。

 

2019・4・26

石村良子代表

「游洛記」梅 春風館の謎

 

頼春水34歳は安永8118日己亥(1779年)中井竹山の媒酌で大阪の儒医の娘静20歳と結婚する。結納は帯代金500疋(10万ぐらい)鰹節、絹地1反、支度は挟箱1荷,箪笥、長持ち各1

明くる423日春水の父亨翁は杏坪を随伴し上京423日着坂する。杏坪は混沌社 片山北海に学ぶ


特に記載がない場合は見延典子が書いています。

わかりやすい贋作。

この程度なら、「頼山陽ネットワーク」にアクセスしてくださっている方なら、見破れるでしょう。

 

 

2019・3・15

なんでも鑑定団 頼山陽の書状

 

少し前、再放送されたなんでも鑑定団。頼山陽の書状というもの。


常太25歳の時には、文政10年の杏坪「十旬花月」の旅に梅颸と共に同行している。

以前紹介した「頼山陽先生手簡四集」に山陽の子常あての手紙がある

2019・2・24

石村良子代表「頼家の縁談」

現在 北海道のSさんよりお借りしている「頼家聚」の山陽の常太の父(千蔵、春水のいとこ)あての手紙を読んでいる。内容は頼立斎(子常、常太)への縁談話。

   山陽37歳 立斎22歳 への手紙
   山陽37歳 立斎22歳 への手紙

頼立斎=名は綱、字は子常、通称は常太。山陽の門に学び、詩文・書・篆刻(師、細川林谷)も能くした。文久361歳歿 

 

子常様
尚々 何分飛出す事は遅いほどよろしく 御辛抱なされねば此度の一帰もむだになります 三次杏坪叔父の事くわしくお書きくだされて まるで見るがごとくです。
遅々首を屈し書を読み 腹にためることを儲けとお考え下さるよう これは何程儲けても よろしいです。 京坂ではそりゃ誰が誘ふ そりゃ花 そりゃ楓にて 腹の儲けだめ出来ず それどころか腹外の儲けもの迄なくするようになりそうです。(家に居る事) ひとつ孝ということばかりでもありません 。

 

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

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 監督 東陽一

 原作 見延典子

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 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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