2020・3・23 藤一郎さん「我が家の墓石の3面」

 

我が家(衞藤帰一堂)の墓石の3面の彫り込んでいます。

君名真良氏衞藤如山其號也以安永二年癸巳弐月

三日歿享年四十有二安政三年丙辰春二月曽孫道

孝謂毅曰曽祖初業醫不幸早死違今哭十有餘年再

後屡遭不淑家乗散逸是以行事履歴不得其詳墓石

雖存絻刻如山真良醫師六字耳如旗壊缺苔蝕懼後

世子孫無識處所今茲 工改造焉欲以報祖徳吾子

為余記是毅固辞不可乃記其概曰君之遠祖曰山城

守貞義世仕大友氏居干大白谷邑貞義孫曰蔵人左

道家子孫徒中山邑道家六世孫曰三右衛門貞道寛

文十一年辛亥徒中野邑貞道曽孫善兵衛其眼文三

年戊午?命為中津牟禮里正世襲焉善兵衛有男二

人長曰荘左衛門薬嗣次曰想六則君之幼字也寛延

三年庚午為醫更名真良蓋先是世傳眼科書乞治者

多至是使君別為醫家也其業日進明和中?官命為

謁醫且許乗轂蓋 ?特恩也君娶伏野氏生男女各一

人男曰良庵早死養姪世篤為嗣即本荘荘左衛門篤

双子也妻攁戻女世篤壽七十五歿有男曰道哉夙終

家業周游四万大有聲譽三十三先歿年妻寡児弧家

道大衰弧乃道孝七歳長必備嘗艱難梢長發憤励精

西遊崎奥受業干岩永羪安之門學就而還乞仡岩遠

近醫至覆常満戸升於是家道駿發有光乎祖業矣禹

呼君而有霊即九泉之下基喜可知而願己矣銘曰

 君家衰矣 曽孫是興 君墳崩矣 曽孫新之

 自君之歿 百載千茲 家興新墳 不朽可知

 天之報徳 固己如斯 魂魄安焉 亦復溪疑

          衞藤鎮毅撰

           古庄虎彩書

2020・3・21 藤一郎さん「竹田、送別会場『春楼』」

 

竹田が催した送別会場の「春曦楼」の手がかりは未だにありません。

我が家「衞藤帰一堂」の墓に漢文が彫られています。

幕末に早世した曽祖父の功績を伝えるためのようです。発見した子孫の私はそんな文化が我が家のあったのか感激しましたので投稿します。

 

2020・1・16

見延典子 ⇒ 不動院 麻生さん➁

「頼杏坪の落款」

 

頼杏坪の軸の続き、 冠冒印は不鮮明ながら「間縁」でしょうか。

 『頼杏坪先生伝』(重田定一著)より

同上
同上
今回の軸の冠冒印
今回の軸の冠冒印

朱印、白印はさらに読み取りにくい。麻生さん、もし鮮明な映像をお持ちなら、お示しくださいますよう、よろしくお願いいたします。

今回の軸の朱印、白印     白印は左と同一か?
今回の軸の朱印、白印     白印は左と同一か?

墨湖の署名、落款部分を拡大しました。
墨湖の署名、落款部分を拡大しました。

2020・1・14

見延典子 ⇒ 不動院 麻生さん

「絵師は中川墨湖」

 

頼杏坪の軸の件、鶴の絵を描いたのは広島藩の絵師 中川墨湖(1789-1861)ですね。

名は義喬、通称は彦太郎。初め高橋、中川に改称。山田雪塘に学んだ後、岸駒に師事。四条派の画をよくし、蝦を得意とする。頼杏坪の編集『芸藩通志』の挿絵で知られる。

             (ネットより)


2020・1・12

不動院 麻生さん

「頼杏坪の掛軸」

 

頼杏平の掛軸です。南区の方の所藏です。義父の遺品だそうです。

鶴の絵は『芸藩通史』に挿絵を描かれた人の絵です。入手経路はわからないとの事。新年のめでたい絵ととらえています。


ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

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 監督 東陽一

 原作 見延典子

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