2020・2・15 久保寺辰彦さん 🔁 石村良子代表

           「頼先生へ確認、ありがとうございました」

千葉の久保寺です。

頼先生へ確認ありがとうございました。また、山陽の書簡等で不明な点があれば

お尋ねしたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

  

 頼先生は不明の所は 勝手な想像は いつもながらされません。

「南部行文為持上申候」の「為持上」の読みについても、内容が不明なので、

 読み方もわからないそうです。(石村良子代表からの追加お返事)

 

2020・2・14

    石村良子代表 ⇒ 久保寺辰彦さん「頼先生にお尋ねしました」

 

久保寺辰様

古文書教室で 頼先生にお尋ねしてみました    

先達ての石村の書いたものでよいそうです(1月25日付け、赤字

ただ「時遺働」の意味については、「前後の事情が分からず不明」とのことです

 

2020・1・26 久保寺辰彦さん ⇒ 石村良子代表

           「早速の返答、ありがとうございます」

 

早速の返答、ありがとうございます。大変参考になりました。

「時遣働」は意味はもちろん、読み方も、字があっているのかも自信がありません。引き続き調べて、わかり次第連絡いたします。

「為持上申候」も自信はないのですが、「頼山陽書簡集 続編」

259ページの小石宛ての書簡の最後に「任レ命為レ持上候」とあるのを確認しています。

 

2020・1・25

    石村良子代表 ⇒ 久保寺辰彦さん「推量ですが…」

 

久保寺辰彦様

推量ですが 書いてみました(赤字

古文書教室の時 頼先生にお尋ねしています たしか小石玄瑞は盛岡(南部)に行ったことが有るのでは?

    石村良子

 

  久保寺(黒字)       石村(赤字)   見延からお二人にお尋ね(緑字

御詩稿文稿昨日時遺働候             「時遺働」の意味は?

御張込ハい津そ御ねた里

可申と存候て□□             申候

〇私方会初と申もの十八日八

時比よりと申置候とふて         どうで(どうせの意)  

遅刻ニ可相成御繰合御一

□奉希候尤真の何も致不        

申候也

〇私徳太郎と申名

公儀ニ差支

參河御先代ニも同名之仁

有之候筋改可申と存候内

京住之事国元二而此節

至極明白ニ相成候様被計

相すこし申候ニ付舊名ハ

有由緒事ニ付今春より

復申候 尤久字音讀ニ仕候 此義□より入御   疾(はやく)

耳可申と存候てハ失念

仕候 乍序御吹聴申候

早々 南部行文為持上申候

          (読みは久保寺「持たせ上げ」「持上げられ」「持上げさせ

               =この読みについては内容が不明のため判断できず)

 小石元瑞様 頼久太郎

 要用

 

2020・1・24 久保寺辰彦さん ⇒ 石村良子代表

           「頼山陽の小石元瑞宛書状を解読したい」

 

古文書解読の趣味からこちらの会員にさせていただきました千葉県在住の久保寺です。

「頼山陽の手紙を読む」を見るとまだまだ自分の勉強不足を痛感します。

偽物が多い頼山陽の書ではありますが、「御」や「差」や「節」などの文字から真筆の可能性が高いと思い、最近、山陽の書簡を手に入れました。

解読を試みましたが、自分の実力不足ゆえ、わからない文字や意味不明なところがあり、石村先生に御批判していただきたくメールいたしました。

間違い、勘違いが多々あると思います。御指摘していただけると幸いです。

    ※原文のみ掲載し、訳文は判読できた時点で掲載します(事務局)

2020・1・21 山根兼昭さん ⇒ 滋賀県在住の坂本さんへ

ネットワークを拝見しまして、山陽の手紙をご紹介しますので、ご参考にして下さい。

私も詩吟を始めて三十年になりその中で「頼山陽に出会いました。」

1813年10月、山陽が京から中山道を通り大垣~美濃へ行くとき、墨俣の澤井長慎に出した手紙です。

                              山根兼昭(愛知県在住)

 墨俣の澤井長慎に宛てた手紙と、その読み下し文(墨俣町史より)
 墨俣の澤井長慎に宛てた手紙と、その読み下し文(墨俣町史より)

「手紙の大意」

雪が積もり寒い日ですが、お変わりありませんか。9日に京から今須宿に着きました。2つお願いがあります。

上有知(美濃)へ行くとき人足を一人お頼み申し上げます。(大垣までは浦上春琴外お付きの人がいました。)

もう一つは、大垣より人を遣わし、江馬宅へ立ち寄り「夜分までにはお伺いしたい、しかし明晩になった時はお待ちください。」

とお伝えください。右、いろいろご面倒をおかけいたしますが、何卒よろしく奉り願い申し上げ候。

 

2020・1・20 会員希望の坂本さん 🔁 見延典子

      「九州遊歴、山陽先生は一人旅だったのでしょうか」

会員を希望される坂本さん(滋賀県在住)からのご質問です。

 

詩吟を楽しんでいます。その中で、国内では断然頼山陽先生の漢詩が多く、作者の履歴、人柄などを深く知りたいと思っています。

ネットワークの中で、九州遊歴の記述が多くありました。

以下の疑問があります。山陽先生は一人旅だったのでしょうか。また、1年もの間、寝食はどのように工面したのでしょうか。ご存じでしたら、宜しくご教授願います。

坂本さんへ

京都を発ったとき、頼山陽は弟子の後藤松陰を伴っていましたが、長崎に入る前で、松陰の母の危篤を知り、松陰を美濃の実家に帰します。ここから山陽の一人旅になります。

 

…ということを拙著『頼山陽』で書いておりますが、実際には「荷物持ち」が同行していたと考えられます。中国新聞に連載時、西村緋禄史先生が描いた挿絵には「荷物持ち」が描かれている場面もありました。当時の一般的な考えとして旅行に「荷物持ち」を同行することは常識であり、「荷物持ち」を人数として数えないのこともまた常識でした。

 

寝食の工面については、多くを知人宅に頼りましたが、そればかりではありません。詳しくは拙著『頼山陽』をお読みください。

 

九州に入っても、後藤松陰の母の危篤の知らせが山陽の耳に届いていたことを考えても、当時の「文人ネットワーク」の広がりが伺えます。

                         見延典子

 

ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 石村良子代表の編集

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「頼山陽と戦争国家

感想② 感想③

感想④

南々社
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 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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