2019・11・12 会員希望さん

  「国木田独歩の別荘『青一廬』命名の典拠は頼山陽の『泊天草洋』」

 

国木田独歩が晩年、杉田雨人の別荘に住んていたことがあります。

独歩はこの別荘を「青一廬」と命名しました。

「青一廬」から太平洋を一望すると、空の青と海の青が混然一体となってその境目は分かりません。それは身震いするほどの美しさです。「青一廬」の命名の典拠になったものが、頼 山陽の漢詩「泊天草洋」だったと記憶しています。  ~会員希望~

会員希望さんへ

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                  頼山陽ネットワーク事務局

 

石清水八幡宮 ネットより
石清水八幡宮 ネットより

2019・11・7 

中島章風さん

「頼梅の和歌についてお尋ねします」

 

お伺いしてもよろしいでしょうか。

頼山陽の母、静子(梅し)の和歌作品に


「老いの身の苦しき道もいはし水まうでしけふぞうれしかりけり」

 があります。この「いはし水」は石清水八幡宮のことでしょうか。

 

中島章風さんへ

「頼山陽ネットワーク」公式ホームページにアクセスしてくださり、ありがとうございます。

 

お尋ねの和歌は、梅が60歳のとき、山陽の誘いで京都に旅した日記に出てきます。ちょうど200年前の文政2年(1819)3月19日、梅颸は大坂から昼舟で京都に向かいます。以下、その部分を書き写します。

 

 はしもとゝといふ所より上り、八はたのみやしろにまうでる。あがりける所より、をとこ山のふもと迄、十八丁。又御社のぼる、山ぢ五丁。からうじて御社にのぼりつき、拝む。二十四間四面と、宮つこのいふ。

  老いの身のくるしき道もいはし水

     まうでしけふぞうれしかりける

 その夜は、麓の宿にとまる。

 

 というわけで、この和歌の「いはし水」は石清水八幡宮を指しています。但し、当時は神仏習合だったので、周辺の様子は現況と異なっているかもしれません。ご参考になさってください。

                       見延典子

 

2019・10・29

上田誠也さん

     「頼山陽の『芳華帖』」

 

知人から明治期に発刊された頼山陽の『芳華帖』をいただきました。

中国の漢詩を写筆したもので、書の手本として広まりました。

厚いものと薄いものと二種あり、写真は薄いほうです。

 

 


2019・9・14

三頼の書軸➁「春風」「杏坪」

 

春水について日記で調べてみたが、8月13日に水楼に出かけたことを裏付ける記載はない。

「杏坪」とみえる
「杏坪」とみえる
「春風」とみえる
「春風」とみえる

三軸とも、表装が同じであることもさることながら、文字の崩し方、文字の勢い、配置など、いずれを見ても、三頼を名乗るには…。

(ご意見をお待ちしています)

 


箱の下段には「菅氏輯(編)水楼」とある
箱の下段には「菅氏輯(編)水楼」とある

失礼ながら、真贋は定かではない。

2019・9・13

三頼の書軸①「春水」

 

あるところで、思いがけず「三頼(春水、春風、杏坪)の書軸を見せていただく。春水は山陽の父、春風、杏坪は叔父にあたる。まず春水からご紹介しよう。

「八月十三夕菅氏於楼参記七十翁春水」


ホームページ編集人  見延典子
ホームページ編集人  見延典子

 石村良子代表の編集

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南々社
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 監督 東陽一

 原作 見延典子

※当ホームページではお取扱いしておりません。

 

 紀行エッセイ

 『私のルーツ

 

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