民家に埋もれているという印象 川向こうの鳥料理専門店で様子聴いても「そんなん有りましたかね」状態
だが山の景色は今も昔も変わらない三条大橋河畔に高山彦九郎皇居望拝之像がある
2017・10・9
石村良子代表「山紫水明処」
山紫水明処を訪れる と言ってもこの度は内部の見学は申し込んでいないので 鴨川からの写真のみ
頼山陽「高山彦九郎伝」の中 三条橋の東がわで、皇居はどちらかと人に尋ねた。聞かれた人は、あちらだと指さした。正之はそのまま地面に正座すると、その方角を伏し拝んで言った。「草莽の臣、正之でございます」
荻野NAO之写真座談展『Λ』を通じて
2017・6・19
荻野NAO之さん
「山紫水明処で写真座談会」
Ⅰ 写真座談展というこころみ
2017年4月15日から5月6日までの毎週土曜の午後、計4回に渡り、荻野NAO之写真座談展『Λ』(ラムダ)の第一部を賴山陽書斎山紫水明處にて開催しました。これは今年で開催5年目を迎えるKYOTOGRAPHIE(京都国際写真祭)のサテライトイベントKG+の一つとして採択されたこころみです。
形式にとらわれることなく煎茶を飲みつつ清談したであろう江戸時代のサロン的な文化を想い、京都の山々を借景に、山紫水明と写真芸術との新たな出会いと、その場における人々の新たな交流の生動をこころみました。写真展というよりも車座で「花見」と「写真鑑賞」と「煎茶会」と「トークイベント」を全て一緒くたに合わせたような場創りを毎回三部構成でこころみました。
具体的な三部の構成は以下のとおりです。
荻野NAO之写真座談展(2017年4月15日、22日、29日、5月6日)
・第一部『床』 13:00〜14:50
会場:賴山陽書斎山紫水明處、来場者定員7名要予約(入處料700円)
・幕間『渡』 15:00〜15:20
会場:賴山陽書斎山紫水明處、来場者定員15名要予約(入處料)
※写真座談展ではなく、賴山陽書斎山紫水明處の簡易見学
・第二部『山』 15:30〜18時頃
会場:鴨川べり(山紫水明處の東隣)に御座、予約不要来場自由無料
※初日の4月15日は1時間のみの短縮版
・第三部『秘』 20:00〜22:00
会場:非公開の場、招待制
※初日の4月15日は無し
そして3人の発起人:竹内万里子(批評家)、旦部辰徳(文学研究者)、荻野NAO之(発起人代表/写真家)と4人の幹事:川﨑仁美(盆栽研究家)、島村幸忠(煎茶家)、田口かおり(絵画修復士)、藤田乃里子(煎茶)とで来場者を迎えました。
京都府からはKG+を通じて後援をいただき、何よりも一般財団法人賴山陽旧跡保存会及び賴山陽書斎山紫水明處より特例のご協力をいただき実現が叶いました。さらに、賴山陽に縁があって現存する、鳩居堂、剣菱酒造株式会社の二社からもご協賛をいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
Ⅱ アルルから山紫水明處へ
このこころみの水脈は、実は遠く南仏のアルルにあります。毎年7月から9月にアルル国際写真祭が開催され、発起人3人の共通点はこの写真祭に魅せられたことでした。Rencontres(出会い)をテーマに毎年開催されているアルルのフェスティバルでは、小さな町中で開催される多くの写真展やイベントと、小道に無数に展開するテラス、そして公開非公開共々開催される多数のパーティー等が相まって正にテーマの通り、文化が生動する貴重な出会いの場を育んでいます。この生動から受けた感銘を、日本ならではの形でこころみたのがこの写真座談展です。このこころみは、実に多くの奇跡と偶然と縁に寄って賴山陽書斎山紫水明處に導かれ実現しました。その奇跡と偶然と縁とをここで一つ一つ紐解くことは控えますが、開催した中で生じた天にまつわる奇跡のような情景について、触れておきたいと思います。
Ⅲ 天の水
初日4月15日の午後の天気予報は雨でした。山紫水明處内での第一部を開催している間、雨がしとしとと降りました。庭はいよいよあおあおと美しく、これが座談に独特な彩りをもたらし、話に蒼潤が増しました。ただ予報では雨脚はこれからより強くなるはずで、鴨川べりで開催する予定の第二部は雨天中止だとみなで覚悟しました。雨雲で一足早く山紫水明時のような光を味わえたのだからそれで良しと満足しつつ。ところが、第二部がはじまる間際、突如日の光が差しはじめたのです。狐につままれた思いであわてて第二部の準備に入り、初日は1時間だけの予定であった第二部を無事に川辺りで開催しました。場をたたみ始めると、また雨がポツポツと戻りはじめ、全てを車に積み終えた瞬間に大雨になったのでした。
3回目の4月29日に至っては、当日の天気予報は雷雨。そして天気予報のとおり、第1部の最中に照明器具の一切無い山紫水明處内はみるみる暗くなり、ついには雷鳴が響き渡り大雨が降り出しました。あの山紫水明處の中の光の変化と、雷鳴と共に現れた部屋の四隅の陰翳の奥深さ、そして窓の外の山々の暗い紫の翳を私は一生忘れないと思います。同じ感想が参加者からも寄せられました。賴山陽が設計し今に残る山紫水明處だからこそ、谷崎潤一郎が彼の世で既に失われつつあると嘆き礼賛した陰翳の世界を、今の世にまで残しているのだと感動を覚えました。雷鳴と陰翳との中で、床の間に掲げた写真『Λ』が微かにほの明るく脈動したようで、それに導かれるように、話の流れが陰翳の話題に及んだ際は、座談の場における天とΛと人々との繋がりを感じました。そして今度こそは誰もが第二部は雨天中止だと確信していました。それなのに、第2部を前にして、雷鳴は止み、雨も止んだのでした。第二部がはじまる予定の時間には見たこともないような異様な色を帯びた雨雲の割れ目から、妙に紫色をした日が射してきました。結局第2部はその紫の日差しを浴びながら、始終山紫水明時の中に閉じ込められたような光の中で、予定通り開催することになりました。第2部を通じて、ずっと異様な山紫水明時の光の演出を受けているような、夢の中にいるような不思議な場でした。
4回目の5月6日も、当日の天気予報は三度雨。そしてもう驚きはしませんでしたが、結局鴨川べりでの第二部の前に雨は止みました。18時を過ぎた終わりがけには鴨川の北の山々の稜線がいつも以上に幾重にも重なりあって見え、山が増えたかのような淡い山紫水明時の景色に、来場者は一時座談の言葉を奪われ見入ってしまいました。こうして最終日の最終回を終えました。
結局全4回の開催日の内、3回は当日の天気予報が雨だったのにも関わらず、雨天ならば中止の第二部は一度も中止になることはありませんでした。賴山陽に守られていると思わずにはいられませんでした。ちなみに、写真座談展が終わった翌週の土曜日5月13日は大雨でした。
Ⅳ 山不得水 不生動
この企画の途中から私の中では、賴山陽著「那馬渓図巻記」に記されている次のくだりが頭からはなれなくなっていました。
山不得水 不生動 石不得樹 不蒼潤
(山水を得ざれば生動せず。石樹を得ざれば蒼潤ならず)
この言葉にはじめて出会ったとき、私は大きく何かに打たれたようでした。一瞬目の前に宇宙を見せられたといってもよいような感覚でした。
ここで見せられた「水」は、あの「天の水」や、鴨川に流れる「水」、私たちの身体の中で脈打つ「水」、お煎茶の「水」といった「水」ばかりではなく、文化の生動に欠かせない目に見えない「水」も含めて、これら全てが繋がった大きな「水」であるように感じています。
そしてこれらの「水」を思うたびに、「水」と共に見せられたあの「樹」がより一層大きく私の中で育っていくように感じられるのです。
来場いただいた方々の心の中にも、この写真座談展を通じて、あの「水」や「樹」のようなものが現れて繋がりはじめているようなことがあれば嬉しい限りです。
尚、初日の四月十五日の第一部、賴山陽書斎山紫水明處内での写真座談展は、一般財団法人賴山陽旧跡保存会の賴ご夫妻並びに、剣菱酒造株式会社の白樫政孝専務にご出席いただくことが叶い、賴山陽への剣菱の献杯と煎茶の献茶を実施して、賴山陽に捧げる会としました。
2015・12・11
山紫水明処の内部
(京都市)
8年ほど前になるが、山紫水明処の内部を写した写真があるので、ご紹介しよう。
頼山陽記念文化財団の研修旅行の際のスナップ写真である。
「山紫水明処」の扁額は、明治29年、広島藩最後の藩主浅野長勲が書いたものか。泥棒に入って盗まれたと聞いた記憶があるが…。
いずれにしろ、かつて脱藩という重罪から士籍まで奪われた頼山陽の評価の変遷の一端が覗える扁額である。
「山紫水明処」は「書斎」といわれることがあるが、本来は「亭(ちん)」であり、文人墨客らと酒を酌み交わしつつ、楽しく語らう場であったらしい。
2枚の写真だけではうまく伝えられないので、ぜひ実際にお訪ねすることを勧める。但し、事前に往復はがきでの申し込みが必要。