2020・10・24
会員希望さん「頼一族の作品も収集」
会員希望します。
豊後南画の収集をしており、頼一族の作品も少し収集しております。
ときどきこちらのホームページも活用させていただいてます。
よろしくお願い致します。
私は、会社へ入ったころ、定年まじかの先輩たちが、定年後の生活について何も準備していないことに気付きました。
その時の「私の人生設計」は、60歳で定年の時、二人目の子供が大学を出て社会人になっていること、その為には、27歳までに結婚する事。
住宅は、ローンの返済を考え45歳までに建てる事。定年後はわが第2の人生を謳歌する。
電通より取材を受けたときは、全て成就。丁度50歳の時、仕事の関係者より「詩吟」を進められ、将来の趣味として、時間後教室へ通うことに致しました。
幸い素晴らしい指導者に恵まれ、10年後には師範の資格を取り、将来に生かすことに致しました。
2020・9・13
山根兼昭さん「わが日常」
私が57歳(1994年)のとき、「電通」が、「サラリーマンが定年後、どうゆう人生を考えているか。」という調査を全国で100名くらい行い、その中で20名を選出して1っ冊にまとめ講談社から発行された本が「50代男の流儀、生きがいの見つけ方」です。
「詩吟」は漢詩に節をつけて朗詠する伝統芸能です。多くの漢詩に出会ううち、「頼山陽作」が非常に多く、内容も素晴らしいことに氣付きました。
平成24年、第5回の発表会のお題が「梅し日記 抄」-母梅しが山陽を語るー。私が台本を任され、読んだ本が、見延典子著「すっぽらぽんのぽん」。
どういう意味か解らず史跡資料館に電話し、教えていただいた方が、花本哲志さんでした。
その時得た頼山陽の知識をもっと生かそうと思い、教室を行っていた東海市の市民大学に、講座の申請をし「頼山陽講座」を開設いたしました。
学長に挨拶をすると「山根さん―広島を連想ーだから頼山陽だ。」と言われました。しばらくたって、「事務局より、広島の見延典子さんより、頼山陽の講座をしている
山根さんを紹介して欲しいとメールが来ています。」2014年7月5日。
以来、我が日常を重ね今日に至っております。
2020・7・26
大分合同新聞に近砂敦さん
7月25日付、大分合同新聞に中津市在住の近砂敦さんが紹介された。10年ほど前から収集している「引き札」に中津祇園中止の思いを重ねた。記事と写真は同紙による。
収集した引き札を眺める近砂敦さん
中津市萱津(かいづ)町の郷土史研究家、近砂(ちかすな)敦さん(67)は明治、大正期に地元商店が発行した「引き札」を収集している。中津経済の隆盛をうかがい知ることができる貴重な資料だ。中津祇園が盛り上がりを見せ、高額な祇園車が次々に新造された時期とも重なる。今年は新型コロナウイルスの影響で祇園車の巡行が中止になり、近砂さんは複雑な思いでコレクションを眺める。
引き札は当時の商店が年末、得意先に配ったポスターのようなもの。石版刷りの色鮮やかな錦絵が描かれている。絵柄はえびす様や大黒様をはじめ、鶴、亀、松竹梅などおめでたいもののほか、物語の名場面などが多い。「豊前中津」の文字と業種や商店名も入れている。
近砂さんは10年ほど前に市内の老舗で見せてもらい、「郷土の近代史を知る上で欠かせない文化資料」と興味が湧いた。これまでに30点以上を集めた。
中津は1897年に豊州鉄道(現JR)行橋―柳ケ浦間が開通して以降、経済が飛躍的に発展した。引き札の商店名に目を向けると、かつて中津で盛んだった団扇(うちわ)製造業や絣(かすり)販売業、呉服商などの業種が目立つ。
経済の好調に支えられ、祭りも盛り上がった。中津祇園は明治後期から昭和初めにかけて各町内で祇園車が新造され、飾りも豪華になった。古い祇園車は玖珠町や福岡県豊前市、田川市に買い取られ、近砂さんは「引き札が多く発行された時期に、経済圏も県境を越えて広い範囲に及んでいたことが分かる」と説明する。
中津祇園は2004年に県の無形民俗文化財に指定された。近年は祇園車やみこし計15台が登場する。ただ、祭りを維持するための各町内の負担は少なくない。「祭りの存続も商店街や地元経済の発展があってこそ」と近砂さん。来年の祇園を心待ちにしている。
2017・6・8 三隈川(日田市)右手に見えるのが亀山公園。下の写真も同日写す
中津では旧市内では何度も警報がなされましたが、冠水による通行止めがあったぐらいで、ほとんど被害はありません。
心配になったのが山国川、柿坂地区、山陽詩碑の設置場所が氾濫による避難指示が数度なされました。幸いにも現在のところ、氾濫はなかったとの事です。
2020・7・8
近砂敦さん「耶馬渓、日田の現況」
記録的な豪雨に見舞われ、被害状況が報道されている九州。
山陽も訪れた大分県耶馬渓、日田の現況について、中津市在住の近砂敦さんにお尋ねしました。
左が近砂敦さん。お二人が立っているのは鍋谷(森家)悠然亭前付近で、その前を三隈川が流れている。山陽はこのような光景を眺めつつ、広瀬淡窓はじめ日田の著名な人々と交流した。
日田市隈地区、三隈川(筑後川)沿岸、森家所在地は日田の知人の情報によると、冠水はあったが、氾濫はなかったとのことです。
ただ、名物の屋形船はすべて流され、壊滅状態、川を挟んだ亀山公園(きざんこうえん)は現在立ち入り禁止で被害はわからないとの話です。
詳しい情報はまだつかめていない状況です。
頼山陽が書いた「広江殿峰翁墓碣」が刻まれた石碑は何者かにより遺棄された。
2020・5・26
山口県在住いっせいさん
「会員希望いたします」
この度、ネットで拝見させていただきまして「墓石遺棄」(下関の広江殿峰)の意見を拝見させていただきました。激しく同意いたしました。
私は「歴史に埋もれた人」「底辺の人物たち」を中心に今まで「墓石」などを探して来ました。また、頼山陽には以前から興味がありました。出来ましたら是非とも会の末端にご入会させて下さいませ。
行政は「観光」「お金」にならない墓石や記念碑などには予算を全くかけませんね。私も先日、防府市内で「南部伯民」さんの古い墓石を探しましたが、やはり遺棄されてしまったようです。「行政」は単なる「個人の墓石」としか考えていなくて本当に残念でなりません。
2020・3・16 広島県在住Yさん「会員希望いたします」
会員希望いたします。よろしくお願いいたします。
2020・3・4 山下幸太郎さん 「冷静に考えなければ」
見延典子様
報告ありがとうございます。
マスクがないといった状況は鹿児島と同じようですね。感染者が出ると感染経路に報道が集中していますが、冷静に考えなければいけませんね。
また、今回の新型肺炎で中国への依存度の高さに気づかされました。
武漢が発生源かも知れませんが、このようなときこそ日中が協力して収束に向けて動いてほしいものです。
山下幸太郎(鹿児島県在住)
2020・3・2 山下幸太郎さん 🔁 見延典子
「新型コロナウイルスの影響」
見延典子様
新型コロナウイルスが各地で感染が確認されるようになってきていますが、広島の様子はどうでしょうか?
鹿児島はまだ感染者が確認されていないようですが、多くのイベントが中止になり、学校も休校になったりしています。
市内の中心部も土日は閑散としていました。人の動きが止まれば経済が停滞する悪循環を早く断ち切らないといけないですね。そのために早く収束してほしいものです。
山下幸太郎(鹿児島県在住)
山下幸太郎様
鹿児島の状況をお知らせいただき、ありがとうございます。
広島県でもまだ感染者の発表はされていませんが、イベントは次々中止されています。私ごとですが、月2回開かれている「日本外史を読む会」を3月中は中止するという連絡がありました。
広島市在住の知人が一昨日(土曜日)ドラッグストアに行ったところ、マスクはもちろん、トイレットペーパーが売り切れていたそうです。デマに踊らされず、冷静な判断を心がけたいですね。
見延典子
2020・2・24
会員の三吉さん(神奈川県在住)「頼山陽先生のお墓に」
京都の長楽寺さんの頼山陽先生のお墓に手を合わせて参りました。写真を何枚か撮りましたが、ブログに沢山お写真がUPされていましたので、又、縁の地に出かけた折にはお写真を添付させていただきます。
三吉さんへ
お写真をお待ちしております。
頼山陽ネットワーク事務局
2020・1・19
会員の久保寺さん「見延典子『頼山陽』文庫版について」
今年、会員になった久保寺(千葉県在住)と申します。よろしくお願いいたします。
頼山陽に関しては、幕末の志士に多大な影響を与えた日本外史の著者程度の知識しかありません。地元の古文書講座を数年前から始めたことがきっかけで頼山陽ネットワークを知りました。早速、見延先生の徳間文庫の「上・中・下」を購入して読んでいるところです。
中・下巻が、なかなか見つからないという投稿をみたので、参考になればと思い
投稿しました。私は「book off のオンラインショップ」で購入しました。
下巻は、見延先生のサインと印があったのでラッキーでした。
現在、下巻は在庫がないようですが、中巻はあるようです。ご参考までに。
2020・1・5
長野伸江さん
「頼山陽の言語感覚が与えた影響」
小学館の『日本国語大辞典』(二版)の改訂作業スタッフをつとめていた時代に、幕末から近代にかけて
広く読まれた『日本外史』の用例が少ないのは良くないだろうと思い、せっせと用例を拾っておりました(頼山陽の言語感覚は近代日本語にいろいろ影響を与えたのではないかと)。正月なので「気になっていながら、していないこと」を考えていたら、山陽を思い出した次第です。改めて勉強させていただきます。