堀川花盛図(名古屋市博物館)
 堀川花盛図(名古屋市博物館)

1804年、御普請奉行、堀弥九郎は、堀川の堤に桜や桃の木などを植え、中央部、納屋橋の周辺には食事処なども出来、名古屋の憩いの場所として発展し多くの庶民が集う場所となりました。そして、橋の袂に出来た料亭に遊んだ山陽が「得月楼」と命名したのであります。また、大和絵師、田中訥言は、岡谷惣助の注文により、屏風の制作に掛りますが、堀川の堤に咲いている野花を数十種類、春夏秋冬1年をかけ写生し、それを模写して完成させたのであります。

2017・10・11

山根兼昭さん「頼山陽の名古屋探訪・今昔記」その3

 

「名古屋堀川物語」

 

徳川家康は、1610年に名古屋城築を命じます。福島正則は築城の資材を運ぶため、名古屋台地の西に、熱田から台地の北端まで運河を開削いたします。これが堀川で、後の名古屋発展の基礎になるのであります。

名月に輝く金の鯱、山陽も得月楼の窓越しに眺めたことと思います。
名月に輝く金の鯱、山陽も得月楼の窓越しに眺めたことと思います。

 

名古屋の誕生

名古屋台地は、東西4キロ、南北8キロの台地で、16世紀の前半、名古屋台地の北端に那古野城があったが、後取り壊されその地に、名古屋城が作られたのであります。そして、お城の南側に、武家屋敷が出来、その南に商人の町が出来て次第に発展して現在の市街地が形成されてきたのであります。

 

 

地名の謂れは、那古野(神社)、名護屋、なごやかな気候風土、という説もあります。伊勢音頭に「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ。」と歌われましたが、2022年までに500億をかけ、木造でお城を復元することになりました。

 

2017・10・10 匿名さん「三原・隆景ツアーに申し込みます」

 

三原・隆景ツアーに申し込みます。

よろしくお願いします。

 

 

2017・9・30 堀尾哲朗さん「今こそ、頼山陽を」

 

政治の世界は 今 大きく動いています。

今こそ、頼山陽を思い出す時期ではないでしょうか?

 

山陽の目、山陽の頭を通して、日本や中国の歴史を学び、マスコミの雑音に惑わされる事なく、私達自身の頭で「日本の将来」を考えましょう。山陽は脱藩そして幽閉・廃嫡により、政治の世界での活躍の場を永久に失い、自身の使命は著述により人々を導く事にあると決意したと思います。

 

菅茶山の塾を出て、三都に昇る決意を築山奉盈に伝えた文には、「学業成就、名を天下に挙げ、末代までも藝州の何某と呼ばれたい」と述べています。『日本外史』『日本政記』で武家や皇室・公卿の政治の得失を論じましたが、山陽の終生の願いは人民の幸せではなかったでしょうか? 

 

今では、忘れられた様な山陽が心血を注いだ書『通議』で、山陽は為政者の政治のあり方を論じています。山陽の歴史書の表面をサラッと読み、「講談のように面白い」と云って済まして良いのでしょうか? 山陽に関心を持つ我々は、山陽の真意を求め、物事を正しく判断する術を身に付ける必要があると思います。

 

山陽は『通議』の「巻一」で、政治概論を「勢」「権」「機」「利」として展開しています。その主題は『通議』「巻一」「論勢」で述べる「歴史の動き」です。

 

clip_image001

(読み下し文)

「天下の分合、治乱、安危する所以のものは勢なり。勢なるものは 漸をもって変じ、漸をもって成る。人力の能く為す所に 非ざるなり。而れども、其の将に変ぜんとして、未だ成らざるに及んでや、因って之を制為するは、則ち人に在り。人は勢に違うこと能わざれども、勢も亦或は人に由って成る。?して、これ勢なりと曰ひて、肯て之れが謀をなさず、之れが謀をなすも其の勢に因らざるは、みな勢を知らざる者なり。故に、勢は論ぜざる可からず。」

 

濱野靖一郎氏はその著書『山陽の思想』で、「勢」について次のように書いておられます。「勢」を「制」する際に 最も重要なのは、「権」の扱いなのである。そして、「権」のバランスを取る秘訣が「機」である。「機」とは契機・兆しであり、「勢」を「制」するために最も知るべきである。

 

現在における「勢」は。そして、それを制す「権」や「機」は? 政治家たちは国民の「利」をどのように導いて行こうとしているのでしょうか?

 

 

 

   見延典子
   見延典子

 

『汚名』(本分社)

 Amazonで販売中

 

祝!日本遺産 認定

 近砂敦著『耶馬渓』

 見延典子の書下ろし

 小説『獲物』を収録

 ※詳細はこちら

 

οο 会員募集 οο

 

「頼山陽ネットワーク」の会員になりませんか? 会費は無料。特典があります。

 

詳しくはこちら