2017・9・22 

山根兼昭さん

「頼山陽の命日に寄せる」

 

9月23日、今年は山陽没後185年です。

伊藤松雄著「随筆 漢詩を探る」-昭和10年7月桑文社刊ーの中から頼山陽の記載を紹介いたします。


本文(抜粋)

京都では、鳩居堂の世話で、木屋町に詫住居を営んだが、翌年三十歳の時美濃の国へ遊歴に出かけた。処が美濃国郡上郡上有知村に村瀬平五郎と云う豪農があって、傍ら酒造と質屋をやっている。

しかもこれが藤城と号して、詩文に没頭している人物、山陽はこの家に一ヶ月ばかり逗留して、その添削や指導にあたった。この藤城が山陽にとっては第一の門人で、山陽より六歳年長であった。・・・

それから大垣へ付近を遊歴して後、濃州を経て、名古屋にも暫く逗留し、やがて京に戻ってきた。時に山陽三十一歳。再び熊谷鳩居堂の世話で、今度は三本木へ家を持った。・・・

 

ー山陽と細香ー

山陽が門戸を開いて間もなくのことーー友人の梁川星巌が「妻を迎えたら如何だ、誠に好配偶と思われる女性がある。」とすすめた。

美濃大垣、江馬春齢と云う蘭科の医者、その娘で「お裊」という妙齢な美人、しかも墨竹をよく描き、学才あって、詩文に秀でていると云うー 山陽はその才名も兼ねて聞いていたので「では、何分よろしくお願い申す」と山陽は星巌に一切を任せた。・・・ 

四五日後のことーー細香女子が名古屋から戻って久しぶりでの春齢一家団欒、夕食の卓に向かった折、「裊や、お前のところへ結婚申し込みを、梁川星巌殿がはるばる持ってきたが、相手は頼徳太郎と云う貧乏儒者でなア、お断りしたよ。」

これを聞いた細香は、サッと顔色を変えて立ち上がったが、それからというもの、細香は気分がすぐれないと言って寝込んでしまった。後で訳を聞くと「女子と生まれたからには、是非とも頼氏の様な才子に嫁する日のあることを期しておりました。それをすげなく拒絶されたとあっては生きている甲斐はございません。」

春齢は驚いて、梁川星巌に訳を話しましたが、「それは誠に残念なー実はつい最近、山陽は結婚いたしました。」「娘の心が分からず誠に軽率なことをしてしまった。不憫ですのでせめて山陽先生のご門下にお加へ願へますか。」 それで江馬細香は門下の一人となった。・・・

 

「感想」

1、著者・伊藤松雄(1895年~1947年)昭和前期に活躍した演出家、頼山陽の記述をするとき、木崎好尚著「家庭の頼山陽」の山陽年譜などは参考にしていたと思いますが、山陽が京へ出た時、美濃遊歴時の年齢が2~3年早い事は気になります。随筆なのでこういう書き方もあるかと思います。

2、京都鳩居堂・1800年の初めころより山陽が鑑賞し改良された筆や墨が完成、気に入った山陽は鳩居堂に書など贈った。そうゆう縁で、京での山陽の生活の援助を鳩居堂が積極的に行った事が解かりました。

 

 

2017・9・15 杉本武信さん

             「頼山陽が出奔した理由は何でしょうか」

 

頼山陽が寛政12年に京都へ出奔した理由は何でしょうか。

漢学に飽き足らず、と言ってよいのでしょうか。

自由な学問を求めて、と言った方が良いのでしょうか。簡単には言えない。いろいろな理由があるのでしょうか。

 

杉本武信さんへ

21歳の頼山陽は立っています。右足は右岸=自分が希望する将来。左足は左岸=親や周囲が求める将来。右足と左足の距離がどんどん離れていき、痛みに耐えかねた頼山陽は川に落下します。本能のように泳ぎついた先が右岸にある京都だったというところでしょうか。

                         見延典子

 

 

2017・9・12  95さん「古文書研究会への参加希望」

 

山陽の後藤松陰宛書簡、梅颸さんの書簡コピーを持っております。江戸期の書簡がスラスラと読めるようになりたいと熱望しております。一度、月に二回開催されているとお聞きしている書簡を読む会に参加してみたいとも思っています。今月の会の日程などお知らせくださいませんか。時間の都合をつけて馳せ参じようかと思っています。お返事お待ちしています。

 

古文書研究会のページ、2つ目に出て来る漢詩について。

梅児墳外緑陰低は 木母寺にある梅若のお墓のことです。

木母寺の梅若のお墓の外は緑に覆われ といった意味だと思います。

 

95さんへ

 

ご連絡いただき、ありがとうございます。

古文書研究会は下記の通り行われています。

 

日時 毎週第2、4木曜日 15時~17時

場所 頼山陽史跡資料館(広島市中区袋町5-15)☎082-542-7022

講師 頼一先生(頼山陽史跡資料館名誉館長 広島大学名誉教授)

 

まずはご見学にいらしてください。

ごく稀れですが、日程が変更する場合があります。事前に資料館にお電話でご確認することをお勧めいたします。ご見学にいらした際、入会方法、会費についてご案内いたします。

 

漢詩の訳については、担当者にお伝えいたします。

よろしくお願い申し上げます。

 

                 頼山陽ネットワーク事務局

 

2017・9・2

グランマさん「ミステリーなお話になってまいりました!」

 

「山陽文徳殿」の内部を拝見させていただき、正直驚いています。

建物の外観といい、広い畳に山陽像といい、昭和6年に構想されたことと言い、何か大きな意図を感じざ


を得ませんね。

一種の廟なのでしょうか?畏敬の念をもって?というか、奉られ建てられたのでしょうか。

確かに、その思いは昭和6年日本人が「大日本」という幻想を抱きはじめたことにつながるような気がします。

ミステリーなお話になってまいりました!

   見延典子
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