2017・11・20 山根兼昭さん「湯谷先生の講演会に出席します」

 

愛知県立大非常勤講師、浄土宗西山深草派宗学院教授 湯谷先生の講演会のご案内をいただき有難うございました。

 

以前より、雲華上人の研究家として広島での講演会の話などは聞いておりましたが、この度、地元名古屋での講演会は楽しみにしております。

 

頼山陽を理解していただく意味においても、一人でも多くの仲間に声をかけ出席したいと思います。

 

 

食事のあとは、三原城下町散策へ。案内は三原市観光協会のパワフル女子!

 シャツはカープレッドか?
 シャツはカープレッドか?
旧街道沿いの果物屋さん。安くて旨そう。三原東町、酔心酒蔵への道すがらにて。
旧街道沿いの果物屋さん。安くて旨そう。三原東町、酔心酒蔵への道すがらにて。

ついつい、酔心の新酒を買い求める。特に純米の吟醸酒は旨そう。いや、実際あっちもこっちも試飲したんじゃが、どれがどれやら忘れてしもうたが、みな旨かったのう。因みに、仕込み水は福富の方から絶品の軟水をわざわざ使っとるそうじゃ。

 眼福なり~!
 眼福なり~!
試飲を楽しむ
試飲を楽しむ

2017・11・14

梅庵さん「小早川隆景の書状を見に行くツアーのご報告」②

 

三原城のお堀端を通って、西国街道沿いの、三原本町よがんすへ。

地元の食材を使ったピザは絶品。
地元の食材を使ったピザは絶品。

さあ、いよいよ酔心じゃ~。パワフルガイドさんとはここでお別れ。三原の魅力をたっぷりありがとうございました。

蔵元の力説にしばし聞き入る。
蔵元の力説にしばし聞き入る。

徳川八代将軍吉宗の頃、日本を訪れた朝鮮通信使(世界記憶遺産登録おめでとうございました)が、三原酒を旨い、旨いと飲んどったそうな。


まあ、山陽も飲んだのは間違いあるまいで。しこたま若いころから飲み上げたんて、長じて辛い酒を欲するようになって自らを律しよう思うたんじゃろうのお。(すんません、


ここの部分はウラをとっておらんでの)。

そして、この書状の下に当時(明治期ですが)の三原城が海城として瀬戸内海を睥睨してた頃の写真がありました。因みに、ここで求めた純米酒をその晩しこたま飲んで、隆景公を偲んだゆうんはゆうまでもありませぬ。いやあ、実に文化的な一日じゃったわい。

 

 

三原市教育委員会文の担当課長(左)と解説くださった学芸員の山崎愛一郎さん(右)
三原市教育委員会文の担当課長(左)と解説くださった学芸員の山崎愛一郎さん(右)

きっかけは、不動院麻生由紀さんよりなぜか梅庵に、隆景公の書状が、今、京都の思文閣(テレビ番組の、なんでも鑑定団監修中の老舗)から売情報が出ているので、誰か買う処を知らんか?というようなミッションを与えられたんで、ああそうじゃ、ちょうど、小早川隆景築城450年イベントが展開中だったもんで、三原市に打診したところ、不思議と話がトントンと進んでしもうて、ほんまに10月に書状が三原に到着。こりゃあ、ついでに?現物を見んといけんじゃろ~、ということで今回のツアーが実現したんです。

初公開の小早川隆景の書状
初公開の小早川隆景の書状

2017・11・14

梅庵さん「小早川隆景の書状を見に行くツアーのご報告」➀

 

三原へ、小早川隆景の書状をこの目で確認するべく、先日出張して参りました梅庵です。

 

我らが隆景公書状の特別展示のチラシ。
我らが隆景公書状の特別展示のチラシ。

 

当日、麻生さんに「なんで梅庵にゆうたん(頼んだ?の意)ですかいのう」と伺うと、(梅庵は)「隆景公のことを調べてるとお聞きしたものんだから、ひょっとして、と思いましたの」と、かなり品よくお答えになったのでありましたあ。


ツアー化するにあたり、もちろん、書状のみならず、お昼は、石窯ピザで有名な白竜湖よがんすが三原の商家跡(豪商山脇家築90年)にこの春オープンしたカフェレストランで。そのあと、三原市観光協会のパワフルガイドさんと三原城下町をまったりと散策。〆は、大観がこよのう愛した「酔心」の酒蔵、山根本店見学と試飲。と、秋の一日を、初めての三原城下町を、ぶらぶら文化的に?堪能すべし、という計画を立てました。これで、込々2000円(交通費別途)はお・と・く?

 

さて当日、書状が公開されてた「みはら歴史館」では、三原市教育委員会文の担当課長さんから、なぜか丁寧な対応をしていただきました。右で立ち尽くしていらっしゃるのは、丁寧にご説明いただいた学芸員の山崎愛一郎氏であります。

 

館内を愛一郎氏(なんと、麻生さんとご学友)と隈なく見たんじゃが、隆景公の書状は特に他にはのうて、そりゃあ貴重な書状だったぞい。しかしながら、何が書いてあるか、よお、わからんかったんで、やはり、こつこつ、古文書の勉強を、い、い、いつかは、せんといけんのう、とは梅庵、ちと思うた次第じゃ。

 

解説によると、この書状は一五七九年十一月十三日付。毛利家と織田家との中国での争いで、前線に近い佐井田城(現真庭市)へと入った熊谷氏への返信で、翌年五月が例の水攻めで有名な備中高松城の両軍激突じゃ。内容は、鉄砲を防ぐ板等の城の防御について、近く出陣する毛利輝元と相談するよう促し、前線の状況を報告するよう求めておるらしい。あの、県立広島大の秋山教授(日本中世史)によれば「宇喜多直家が織田側に離反し、戦況が厳しくなる毛利側の緊迫した様子がうかがえる貴重な資料」とのことじゃ。

 

 

豊作だったお礼と感謝を神さまに捧げるため、昔も今も、神社の祭礼は続いとるんじゃろうのう。今世紀に入って、とりわけ今年は、毎週台風が来よるし、自然災害がやたら多いと感じたんは、べつに梅庵だけじゃあないじゃろうが、それでも台風被害も軽微に済んで、無事収穫できたのは、本当にありがたいことじゃ。神さんに、マジで感謝しとりますでえ。パン・パン・パア~ン。毎朝食べるのは、パンもええが健康のこと考えたら、やっぱりコメじゃ、コメ・コメ・コメ・・・。

 

2017・11・1

梅庵さん「稲刈り」

 

石内、広島、いや全国で、神在月ではあちこちでお祭りしとりますの。ヒヤ(火矢?)が空に上がって、バン・バン・バ~ン・・・。

まあ、いはゆる自然農法ゆうんかいのう、実はただ、今年はつい除草剤の量を減らしてみたんじゃが、そしたら下草ぼうぼう、ヒエとアワはセットで繁茂するんじゃけえ、それにゃあホンマにまいったのう。それも一番暑いころ、毎朝8時まではなんとかヒエとアワ取りに邁進したんじゃが、暑うて暑うて。ほんでそれも気休めにしかならん行為じゃったわ。どしても、水草とかスギナ、ヒエとアワは永遠に(稲刈りまでは)不滅でした!まあ、ええか。しょうがない。


兎に角、今年もうまいコメが、やっとできたでえ。そりゃあ、自分でいやあわきゃあないことじゃが、(谷のみんなは上品であんまし自慢せんけえワシがゆうんじゃが)、土と、水と、空気と、寒暖差の大きい石内梶毛谷のコメは、むかし爺さんがゆうとったとおり、広島藩の寿司米にふさわしいくらい旨いんじゃわい(ちと酒が入って調子がでてきたぞい)!

 

 

 堀川花盛図(名古屋市博物館)
 堀川花盛図(名古屋市博物館)

1804年、御普請奉行、堀弥九郎は、堀川の堤に桜や桃の木などを植え、中央部、納屋橋の周辺には食事処なども出来、名古屋の憩いの場所として発展し多くの庶民が集う場所となりました。そして、橋の袂に出来た料亭に遊んだ山陽が「得月楼」と命名したのであります。また、大和絵師、田中訥言は、岡谷惣助の注文により、屏風の制作に掛りますが、堀川の堤に咲いている野花を数十種類、春夏秋冬1年をかけ写生し、それを模写して完成させたのであります。

2017・10・11

山根兼昭さん「頼山陽の名古屋探訪・今昔記」その3

 

「名古屋堀川物語」

 

徳川家康は、1610年に名古屋城築を命じます。福島正則は築城の資材を運ぶため、名古屋台地の西に、熱田から台地の北端まで運河を開削いたします。これが堀川で、後の名古屋発展の基礎になるのであります。

名月に輝く金の鯱、山陽も得月楼の窓越しに眺めたことと思います。
名月に輝く金の鯱、山陽も得月楼の窓越しに眺めたことと思います。

 

名古屋の誕生

名古屋台地は、東西4キロ、南北8キロの台地で、16世紀の前半、名古屋台地の北端に那古野城があったが、後取り壊されその地に、名古屋城が作られたのであります。そして、お城の南側に、武家屋敷が出来、その南に商人の町が出来て次第に発展して現在の市街地が形成されてきたのであります。

 

 

地名の謂れは、那古野(神社)、名護屋、なごやかな気候風土、という説もあります。伊勢音頭に「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ。」と歌われましたが、2022年までに500億をかけ、木造でお城を復元することになりました。

 

2017・10・10 匿名さん「三原・隆景ツアーに申し込みます」

 

三原・隆景ツアーに申し込みます。

よろしくお願いします。

 

 

2017・9・30 堀尾哲朗さん「今こそ、頼山陽を」

 

政治の世界は 今 大きく動いています。

今こそ、頼山陽を思い出す時期ではないでしょうか?

 

山陽の目、山陽の頭を通して、日本や中国の歴史を学び、マスコミの雑音に惑わされる事なく、私達自身の頭で「日本の将来」を考えましょう。山陽は脱藩そして幽閉・廃嫡により、政治の世界での活躍の場を永久に失い、自身の使命は著述により人々を導く事にあると決意したと思います。

 

菅茶山の塾を出て、三都に昇る決意を築山奉盈に伝えた文には、「学業成就、名を天下に挙げ、末代までも藝州の何某と呼ばれたい」と述べています。『日本外史』『日本政記』で武家や皇室・公卿の政治の得失を論じましたが、山陽の終生の願いは人民の幸せではなかったでしょうか? 

 

今では、忘れられた様な山陽が心血を注いだ書『通議』で、山陽は為政者の政治のあり方を論じています。山陽の歴史書の表面をサラッと読み、「講談のように面白い」と云って済まして良いのでしょうか? 山陽に関心を持つ我々は、山陽の真意を求め、物事を正しく判断する術を身に付ける必要があると思います。

 

山陽は『通議』の「巻一」で、政治概論を「勢」「権」「機」「利」として展開しています。その主題は『通議』「巻一」「論勢」で述べる「歴史の動き」です。

 

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(読み下し文)

「天下の分合、治乱、安危する所以のものは勢なり。勢なるものは 漸をもって変じ、漸をもって成る。人力の能く為す所に 非ざるなり。而れども、其の将に変ぜんとして、未だ成らざるに及んでや、因って之を制為するは、則ち人に在り。人は勢に違うこと能わざれども、勢も亦或は人に由って成る。?して、これ勢なりと曰ひて、肯て之れが謀をなさず、之れが謀をなすも其の勢に因らざるは、みな勢を知らざる者なり。故に、勢は論ぜざる可からず。」

 

濱野靖一郎氏はその著書『山陽の思想』で、「勢」について次のように書いておられます。「勢」を「制」する際に 最も重要なのは、「権」の扱いなのである。そして、「権」のバランスを取る秘訣が「機」である。「機」とは契機・兆しであり、「勢」を「制」するために最も知るべきである。

 

現在における「勢」は。そして、それを制す「権」や「機」は? 政治家たちは国民の「利」をどのように導いて行こうとしているのでしょうか?

 

 

 

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